しかし反撃もここまで

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『インサイド・ヘッド』ピクサーの終わりの始まり?

Category: 映画  
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『インサイド・ヘッド』を観た。
「あまり好みじゃなかった」というゆるふわな話をするので、人さまの迷惑にならないよう、公開が終わりDVD発売まで時間のあるこのタイミングで書く。

*********************

散々言われていたけれど、ドリカムの歌はせめて上映後に流してくれないと「ライリーだれやねん」状態でつらい空気が流れるから、こういう便乗の仕方は今後はやめて頂きたい。
まあディズニーとはそういうものだ、と言えばそうかも知れないが。

内容については、世間で言われている高い評価ポイントに異論はない。少女の何気ない仕草やビンボンのエピソード、記憶のメカニズムの表現、悲しみを含めた自分や他者の多様性を受け入れて人は成長するというテーマなど、見るべき点は山ほどある。
しかし、いつものように「やっぱりピクサーすごい!いやもはや怖い!」と思ったかと言うと、本作はちょっと違った。
好きか嫌いかで言えば、自分でも意外だがあまり好きではない作品だった。

確かにピクサーはこの十数年、素晴らしい作品を作り上げてきた。
ただでさえ優秀なクリエイターが、たくさん集まって議論し、トライ・アンド・エラーを繰り返し、それをジョン・ラセターや才能ある監督たちがまとめる、という手法は、天才的な監督の属人性に依存する職人型の日本のアニメよりはるかに効率的で合理的だし、思想的にもこなれ、アイデアも豊富で、これ以上のやり方はないように思われた。
(かつて自分もこんなエントリーを書いた)

「ジブリ創作のヒミツとキツすぎる葛藤400日」
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-entry-55.html


しかし、この映画を観て自分の抱いた感触は、最近のWIREDやCOURRiERの記事を読むような、ちょっと「いけ好かない」感じだ
(恐らく今回のエントリにあなたが共感するかどうかはこの文章にピンとくるかどうか次第だろう)

確かに頭は良いしセンスもいい。
でも、そういう方向でやるなら、もっと突き抜けないとちょっと物足りないし危うい。

誰かがこの映画を「人間は脳の中のナニかの乗り物じゃない!」と批判していたが、今どきそんな素朴な人間観を披露して怒る人がいるとは思わなかった。(じゃあお前の主体性とは、自由意志とは何なのか、見せてもらおうじゃないか!)
そうではなくて、この映画に突っ込むなら「所詮人間は乗り物だが、人間の脳の中はそんな単純じゃない」という方向だろう。
もちろん寓話なんだから科学的に正確で詳細であればえらい、というわけではないし、ちょいちょい「最先端の脳科学や心理学の知見を盛り込んでます」感は十分ある。
それにいわゆる「脳内会議モノ」でよく登場する分類、たとえば天使と悪魔とか、理性と本能といったいろんな候補の中から「ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ」という素朴な感情に絞ったのは、当然「普遍的な(子どもの)成長」が主題であるという意図があったからだろう。

しかし、「天使と悪魔」のような大人向けの軽いコメディならともかく、普遍的に描くにはそもそものアイデアがうまくいっておらず(インタビューによるとヨロコビをリーダーとすることはやはりいろんな紆余曲折があったらしい)、結果としての「意識」のイメージは、あまり目新しくも納得行くものでもなかった。

それにそもそも、たとえば普段子どもと接する時に、この映画のようなある種のメタ視点を持たせるかどうかはかなり気を使う。
こういう視点を持つことが出来れば、自分の怒りや悲しみを客観視できるし、うまくコントロールできるようになるかも知れないが、それはそれなりに強力なイメージとなってその人の人生観や世界観を支配してしまう可能性があるから。
要するに世のすべてがそうであるようにバランスとやり方次第なのだが、この映画の描き出すイメージは、自分には、少々乱暴で、中途半端で、過渡期的なものに思えた。

『トイ・ストーリー』以降、クリエイティブで、合理的で、ポリティカルにコレクトで、老若男女全方位に対して訴求し、寛容で、何より面白くて、笑えて、泣けて、すべてにおいて隙がなく完璧だと思われ、愛されてきたピクサー。
しかし、ディズニー傘下となり、その強みが逆に枷となるならば、これは終わりの始まりなんじゃないだろうかという気さえした。
(だからといって、今度は天才の狂気や職人魂がエリート集団を打ち負かすターンだぜ、とは思わないが。)


とっ散らかっていろいろ書いたが、単に俺の考える脳内と違って気に食わない、という好みや人生観の話かも知れぬ。
これが素晴らしいイメージだと言う人もたくさんいるだろう。
そういう人をバカにするつもりも、文句を言うつもりもまったくない。

ただ、たとえば洗脳や思想統制や選民思想といったよくあるディストピアは、横暴な独裁者や強大な権力によってなされるのではなく、案外ディズニーやピクサーによってなされる日が来るのかも知れない、という想像をしておくのも良いんじゃないか。
もちろん陰謀脳になれ、という意味ではないけれど。

うまく言語化できなかったし、誰かを納得させたいわけではないが、少なくとも今の時点では、自分にとって『インサイド・ヘッド』は好みではない作品だった。

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『アナと雪の女王』雑感いろいろ

Category: 映画  
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『アナと雪の女王』について思ったことを雑然とメモ。
ネタバレあり。

・2D吹替、3D吹替と2度鑑賞。とても良かった。
『ミザリー』や『クロニクル』のように、溜め込んだ怒りと悲しみが爆発して皆殺しじゃー!ていうシーンは最高だけど、敵は環境や己のうちにあってそこから解き放たれてワシは自由じゃー!ていうシーンの方が教訓的だけどやはり胸に来る。
倒すべき敵がいるわけでもない抑圧からの解放というのはとても泣ける。
『アメリ』もゆるふわおしゃクソ映画のようでいて、親が死んでアメリが解き放たれるシーンは泣けた。そこが終わりじゃないけど、ようやくスタートが切れる。

・自分には幼い娘がふたりいて、ご多分に漏れずプリキュアを見たりお姫様物語を読んだりしているけれど、今後成長するにつれ、女性としてどういうロールモデルを親として提示したら良いかけっこう悩むことが多い。ディズニーのプリンセス新古典はそういうテーマに対するひとつの答えになるだろうな、という気はする。

・アナ(エリサ)もメリダもラプンツェルもアメリもおおかみこどもも、女性が主役の新成長物語は体制と敵対して突破したり理性や合理性で打ち勝ったりというのではなく、運命や社会を愛憎や葛藤の果てに受け入れた上で個人として自立する形が多い気がするな。そうならざるを得ないことや、それが現状を追認しかねないことへの批判もあろうが、しかし身の丈の哲学として、現実的な戦略として、あるいは新古典としてまずそれがしっかりと語られる価値というのはあるはずだし、必要ならそれを足場にそこからまた一歩進めばいい、ということなのかも。

・過去の作品や時代という文脈を経てのディズニー最新作かつプリンセスものなので、もちろんジェンダー論的な批評を受ける用意はあるだろうし、それに固執する人がいるのは当然だろう。
しかし一方で、エルサの「能力」は説明がなく先天的なものとして描かれるし、また全体のメッセージとして、あまりジェンダーだけに特化して語られることを回避しているように思える(作品的にも、政治的にも)。
つまりエルサの能力は性別、人種、性格、気質、才能、病気、障碍といった「個性」、そして誰にでも理不尽に訪れる葛藤や衝動を象徴するように作られている。

・その中から、いま自分に必要な「個性」をチョイスして己の生きづらさや悲しみを託すのは作品の消化の仕方としてとても正しいことだ。映画を見る、本を読むといった行為は極個人的なものだのだから。
でも同時に、その行為が他者の「個性」とどう関わるか、ちょっと思い巡らしても良いかも知れない。
たとえばエルサの個性が「エレファントマン」的なものだったとしたらどうだろう。
あるいは城に戻った後にエルサは「才能を捨て、社会に迎合し、スケート場を作るチンケな人生」を送ったのではなく、「触れるものすべてを燃やす子ども」を助けてあげる後日譚があったと想像してみるのは悪くないのではないか。

・ディズニーの目的は基本的には「古典=クラシック」を作ることだし、作家性よりもブランド性を重視している。
また、若い衝動やラディカルな青春映画を作るのではなく、「親子で楽しめれる」”保守的な”作品を作るのが基本。
だからディズニーに対してあまり無茶な要求をしても「それはよそでやるべき」だということかも知れない。
そもそも作品のテーマを万人に押し付けて洗脳しているわけではないし、古典や常識とは言え常に議論に晒されてアップデートを求められるからこそ今回は新しいプリンセスものの定番ができたわけで。
もちろんディズニーは決して反論しないでそういう意見も飲み込む度量の深さ=普遍的な価値を目指しているだろうけれど。
「ベタ」が更新されれば「常識」や「倫理」もアップデートされるし、ラディカルな思考もジャンプするための足場が高くなって射程が伸びる。そうやって少しずつ変革していけばそれでいいんじゃないでしょうか。

・ただ、ラストは”偉大なるベタな社会観”を一応是とするならばもっと盛り上げられたのに、それをしなかった。
映画の構造としては、

 1.前半の抑圧と悲哀
 2.中盤の解放と「Let It Go」による圧倒的なカタルシス
 3.「For The First Time In Forever (Reprise)」で自由の代償を痛感し挫折、後悔するエルサ
 4.終盤で「真実の愛」つまり普遍的な愛情、他者への理解、社会性やノブレス・オブリージュの獲得

という流れなので、たとえば公務に嫌気のさした王女様が自分の使命を悟って大人へと成長する『ローマの休日』や、己の中の衝動や欲望と折り合いをつける『ライフ・オブ・パイ』のような映画にできたはずだ。
しかし意図的かどうかはともかく、強く落とさないバランスに仕上がった。
まあラストをもっとわかりやすくするとか、終劇後の「Let it go」の歌詞を少し変えるとかいう手はあったかも知れないけれど、あまり説教臭くなってもアレだし、気持よく「Let it go」を歌っているところに「いや大人になれよ」と冷水浴びせるのはそれこそ大人げない気もするので、これで良かった気もする。

・ハンス王子については初見時にはやや唐突だなと感じたけれど、これを読んで納得した。
「ハンス王子の解釈 Red Notebook」

「「ハンスって誰?」とオラフは尋ねます。その答えは、人ではなく、キャラクターでもありません。彼は鏡なのです。それも、もしかしたら超自然的な鏡かもしれません――周りの人たちを、彼らの愛や恐れ、悪徳や美徳、人生や死を反映する鏡なのです。」

・一方、アナとクリストフが話すときは鏡ではなく本能/理性、本音/建前、個性/社会性のように相反する対(つい)の言動をしていた。
 
 納屋でアナがクリストフに同行をお願いする/王女として命令する
 アナにはハンス王子がいるんだ/それでいいのか(スヴェンとの腹話術)
 オラフの夏への憧れに「本気か?」/「いいじゃない」
 ラストシーンのキスをしない?/する?

というように。
このふたりは上記のふたつを(エルサとは違い)二項対立としては捉えていない。かと言ってふたりは最初から完璧なわけでもなく、悩んで、話して、トライして、エラーして、学んで、改善していこうとする。
アナがエルサを助けに氷の城に行き、説得するシーンは、アナはポジティブだけど打算的で鈍感に思える。だからエルサを追い詰め、パニックを起こしたエルサから氷の刃を心に受けてしまう。
これは確かに幼いミスだ(どちらにとっても)。だからこそ「鏡であるハンス」に同じように裏切られることになる。
しかしアナは学ぶ。そして成長する。さらにエルサにも大切なことを気付かせる。
アナは先天的な「善」や脳天気なポジティブさを体現しているプリンセスではなくて、現代的な行動力と合理性、現実的でプラグマティックな態度を示したキャラクターなのではないか。
だからこのふたりはもし恋人や夫婦になり、たとえ困難があったとしても、パートナーとしてうまくいきそうな予感がある。

・『Let It Go』ほか、劇中歌の翻訳はいろいろ苦労したと思うし日本語の限界もあるけれど、「私らしく」という言葉を(たぶん意識的に)避けたのはよかった。それを使ってしまうと一気に陳腐で浅はかさで独善的なってしまう。
また、「ありのままの」という歌詞は不適ではないかという意見を見たが、キャッチーで子どもでも歌いやすくてリップシンクもしてもちろん意味も…となるとあれ以上の訳を思いつかなかった。言いたいことはわかるけれど、そもそも日本語と英語は違うし、翻訳、吹替というのは良くも悪くもそういうものだし、現代は瞬時に原詞を確認できるのだから無問題ではないか。

・ただ、個人的にはこの映画で一番クリティカルだと思う『生まれてはじめて(リプライズ)』のエルサの訳はこれで良かったのか考えてしまった。これは二度の『let it go』を繋ぐ重要な曲だけど、
「Elsa: OhI'm such a fool! I can't be free!」
を「酷いわ 悲しい」、後に続く部分を「無駄」「無意味」としたのはちょっと厳しいかな。
「アホだけど無意味じゃないよ!糧になるよ!」と言ってあげたいところ。

・表情の描写は日米の文化差が出て面白い。
もともと欧米人は日本人に比べて表情筋が発達していて目や眉、口などの動きが大きいけれど、日本人として見るとややお下品というか、片眉片口角あげてドヤ顔でニヤリとか目を細めて姑息なスネオ顔とか普通にプリンセスがやるんだなー、まあでもそれこそ「パーフェクトガール」じゃないことの証明でもあるしな、でもそもそもああいう顔をセクシーと感じる文化がもともとアメリカにはあるよね、みたいな。

・洋画が公開される際には必ず「今回の吹替は大丈夫かどうか」が問題になる。
その点この映画は話題性を狙って変な芸能人を呼んだりせず、ちゃんとローカライズに労力とお金をかけていたので文句なしでした。
ただ、公開時に25カ国バージョンをYouTubeに上げて「日本語:英語」だけじゃなくてどこの国も吹替してるんだよ、と周知することで視野を広げ、吹替の良さを意識させたこと、また同時に「松たか子バージョンは世界的にも評価が高い!」という記事を出したことはうまかった。
いや実際松たか子バージョンは素晴らしいと思うけど、「世界的にも~」みたいなお墨付きがあると、根拠はよくわからなくてもとりあえず安心して楽しめるものなんですよ。おかげでどんなに素晴らしくても難癖付けるようなしょうもない批判もほぼ見なかったし。
ちゃんと労力かけて文句のないものを作った上で広報も練られているってのはさすがですね。


脈絡なく雑然と書き連ねましたが、とりあえず以上です。
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マーカーミームで個人を特定する方法

Category: 社会  
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「会社および上司、同僚にアカウントを隠してツイートしている新入社員の皆さん、一昨年、隣の部署の局長は突然「うまい棒」を局員全員に「差し入れだ」といって振る舞い、直後に「うまい棒」でリアルタイム検索をかけるという鬼畜の所業をした例をここに紹介しておきます。」
https://twitter.com/tarareba722/status/453355744427925505

というツイートを見かけて思ったこと。

上のツイートのように、SNS検索で個人を特定、というのはいまや当たり前になってきたので、確かにちょっと注意したいところです。
「職場でうまい棒を配る」というあまりないシチュエーションを自ら作り出し、それをリアルタイム検索すれば、結構な確率で補足されるでしょう。
匿名で好き勝手つぶやいていたら知らないうちに上司に監視されていた、とか嫌ですね。
嫌だけどここはやるかやられるかの情報戦の場なのでしょうがないのです。とえらいひとたちが言っているのでしょうがないのです。諦めて用心しましょう。

さて、遺伝子研究の分野で、導入した遺伝子の発現をあとで確認しやすくするためのMarkerGene/マーカー遺伝子てのがあるらしい。

「マーカー遺伝子」Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90

詳しい理屈はわかりませんが、ニュースなどに使われる画像でわかりやすく遺伝子が緑色に光っているのはこの手法のおかげ、ということなんでしょうか。
自分で仕込んだ遺伝子がどこにいっちゃったのか補足できないんじゃ大変ですからね。

で、冒頭の「うまい棒作戦」はこのマーカー遺伝子と似ていて、現実生活で自分が仕込んだ出来事や物が、やがてSNSやネットに取り込まれて情報遺伝子=ミームとして漂い、それを補足する。
そうすることで膨大な情報の海の中でもたやすく対象をキャッチできる。
つまりこれを「MarkerMeme/マーカー文化遺伝子(ミーム)」とでも呼べばいいんじゃないでしょうか。

「ミーム」Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0

たとえて言うなら、出来事だろうと物だろうと言葉だろうと事象はすべて情報となり、その情報には居場所を突き止められる呪印がほどこしてある、ということ。リアルタイム検索という印を結べばその情報は光ってしまうのです。
もっとわかりやすく言えば、言葉にGPSが付いているようなもの。


さて、マーカーミームとして有効と思われるものを列挙してみます。

・ネタになりかつレアな出来事を起こす

冒頭の例です。職場でうまい棒を配る、という状況自体がレアでなかなかないことなのでマーカーミームとして機能するでしょう。カラオケで部長がアニソンを歌う、どう見ても異常なサングラスで出勤するとかでも良いかも知れません。
ただ、追跡検索することを考えると「うまい棒」はあまり優秀なマーカーミームではないかも知れないです。
あまりにポピュラーなので検索結果が多すぎるし、部長が配ったなら「部長&うまい棒」で検索するとしても、そこまで正確に書いてくれるかどうか難しいところ。
でも同じうまい棒でも「誕生日プレゼントにうまい棒をあげる」なら、対象が1人になる分、精度が格段に上がります。「うまい棒」以外に「誕生日」と「プレゼント」は他に置き換えられる可能性が少ない安定感のある言葉だし、日にちも明確。まあツイートするほどのネタ力があるかどうかはやはり微妙ですが。

・突発的な出来事を逃さない
たとえば職場で火事があったら、レアな上に話題性があるので多くの人はつい書き込んでしまうんじゃないでしょうか。その上画像もUPされていれば特定精度が大幅に高まります。
もちろん追跡のために火事を起こすわけにもいかないのですが、その身内の中での大ニュース、事件事故や冠婚葬祭、有名人に会ったなど、突発的でレアなイベントがあった時はマーカーミームが勝手に湧いているチャンスだということです。
ただ言うまでもありませんが、ニュースになるような大事件ではまったく追跡できません。あくまで内部だけのニュースや珍事などです。

・リアル情報とネット情報でスクリーニングをする
「GWはどうだった?」
「昨日お母さんと一緒にディズニーランドに行ってきました」
と話している人がいたら、それだけでもう3つも特定情報があります。
ディズニーランドやTDLで検索しても膨大な量が検出されてとてもマーカーミームとしては機能しませんが、「昨日」「母親と」「ディズニーランドに」という絞り込みができる上に、すでにその人本人を知っているわけだから、性別や年令、生活圏などと併せて特定はしやすいんじゃないでしょうか。
他にたとえば「昨日成田HUMAXでゼログラビティ見た!」という話だったら、ゼログラビティ自体はノンレアワードだけど、「昨日」「成田HUMAXで」&本人情報、など、こちらが能動的に仕込まなくても特定要因は勝手にバラまかれているのです。

・独特な表現、持論、持ちネタに注意する
「小保方さんは大きな闇の力の被害者」「日本は韓国人に支配されている!」「ネトウヨもブサヨもしね」みたいな意見をもし現実で声高に言っている人がいたとしたら結構目立つので特定に使えそうですが、そういうのはネットにやまほど溢れかえっている凡庸な情報なので、実はマーカーミームとしてほぼ機能しません。
でもこれが「小保方さんの前世は焼き肉」とか「日本はケニア人に支配されている!」みたいに、その人が言っている以外に聞いたことのない内容だと、途端にレア度があがって精度があがります。
いやそんなキチガイの友達いねーよとか、いても関わりあいになりたくねーよって話ですが、要するにこれは「持ちネタ」は飲んだ席でもネットでも披露している可能性が高いということ。
たとえば今ここで書いている「マーカーミーム」という言葉は私が作った造語なので、ググってもこのサイトしか出てきません。だから私が友達にうっかりマーカーミームってのがあってさ、などと言えば一発でしょう。
その他、大まかな思想傾向や持論、好きな球団や趣味なども併せて見れば特定はよりしやすくなるでしょう。


 さて、いくつか例を挙げましたが、これはマーカーミームをバラ撒いて個人を特定するための方法であり、同時にそのマーカーミームの呪印から逃れるための知恵でもあります。
 個別の情報でスクリーニングできる、ということは、そこから外れることもできるということ。
 アカウントの所在地を隣県にしたり、年齢や性別や職業をプロフィール欄で変えたり、誕生日を「昨日」ではなく「先週」にすれば、監視者の目から逃れる可能性も高い(特定する側は膨大な情報の中からスクリーニングするため、案外機械的に処理してしまう傾向があります)。
 掲示板の実体験語りで特定を避けるために使う「フェイクを入れる」というテクニックですね。

 匿名のSNSとは言え嘘のプロフィールを書くと不誠実だしいろいろ面倒だし話に矛盾が…という気持ちは十分わかるけれど、もし匿名を通したいなら、害のない嘘をちょこちょこと入れておくことをおすすめします。
 たとえば、本当はいつも通り会社や学校に行っている日に「今日は休みだから遊びに来た!」と、実は先月行った水族館の画像をUPすることはそれほど罪のある嘘ではないでしょう。

 まあこんなことえらそうに匿名で書いてますが、私個人はいろいろ知り合いに特定されてるんですけどね。
 皆さんは特定と回避、それぞれに頑張って下さい。
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水からの伝言ゲーーーム!!

Category: 子育て  
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タイトルにさほど意味はありません。
思い付いた勢いです。

5歳の息子さんを持つ友人と酒を飲んだ時に聞いた話。

以前息子の参観日のため保育園に行ったところ、子育て講演会があったので参加したそうな。
内容はと言うと、自称教育の専門家っぽいけどよくわかんない人に、子どもとの接し方とか親としての心構えをご享受頂くという 退屈極まりない とても有意義な内容だったそうで、講演中はずっとよそさまの嫁さんチェックにいそしんでいたらしいのだが、途中で思いがけない展開に。
終盤その講師から突如「『水からの伝言』という本を知っていますか?」という今更アニャニャな発言があって、そこから啓発セミナーみたいな状況になったらしい。

『水からの伝言』Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%80


で、お前はどうせ親御さんの面前で徹底的に論破したり園長を批判したんだろうと聞いてみたら(実際そういうことをしかねない奴だ)、その講師の

水だってそうなんですから、子どもにも良い言葉をかけましょう!子どもは水分多いですし…

と言う発言に爆笑して戦意喪失してしまったとのこと。

ただ彼曰く、喧嘩腰ではなく真面目にこの本の問題点とかを指摘しようかと思ったけど、その講師だけじゃなく、うんうんと頷くお母さん方や必死にメモを取る真面目な先生方をも納得させなければならない難しい作業だし、それにこれはこれで、とりあえず良いことじゃないか、と思ってしまったそうな。


確かに、この状況を否定するかどうかというのはけっこう難しい問題に思う。
科学リテラシーがなく無知蒙昧だと批判するのは簡単だし正しいだろう。
でもたとえば虐待やネグレクトやストレスという危機を抱えている場合、とりあえず子どもに優しく接する親が増えるのであれば、それは現実的に「良いこと」だとも思える。たとえそれが水っぽい子どもの水分を綺麗にするためだとしても。
それにいちいち合理性とか科学とか言ってられないくらい疲弊していたり環境が悪かったりする人が大勢いるだろうことは「知的で合理的な」人たちもきっと想像がつくだろう。
実際、たとえば宗教的な規律とか規範、保守的な道徳観というのはそういう側面が強いし、その非科学性や非論理性をあげつらっていったらキリがない。
「凡庸で粗雑なお涙頂戴のクソ映画が流行ってて胸糞悪い」と嘆く映画マニアの気持ちもわかるけど、そういうベタな道徳観をテーマに据えた映画を見ることによって真面目に働こうとか母ちゃんを大切にしようと思う兄ちゃんが増えればそれはそれで社会的意義はあるわけだし、『ワンピース』やディズニーはヤンキーの巣窟、と揶揄したところで、それは宗教や規範なき日本で最低限の道徳として機能しちゃっている面も現実にはあるのだということ。
最高を目指す戦略でなくて、最悪を避ける、最低限を引き上げる戦略とはそういうものなんでしょう。

しかし当然、合理的思考や科学的思考とは何かを学び、プロセスを大事にし、不安に煽られることなく曖昧な留保を抱える度量を持ち、自分の頭で考え、判断する人間を育てる、という意味ではもちろん問題があるだろう。
現実主義的なツールとしての方便ならまだしも、安易にエセ科学や迷信を用い、人の不安や希望につけこんで利用することには必ずツケが回ってくる、という批判は受けなければならない。
「おばけが出るから早く寝なさい!/勉強しなさい!/残さず食べなさい!」という方便はどの親も多少なりとも使っているだろうけれど、毎日毎日おばけの恐ろしいディテールを語って聞かせ、おばけの脅しによって子どもを支配・コントロールし、結果真面目に勉強し、品行方正で立派な青年が完成したとしても、それを「良いこと」と呼べるだろうか(特定の組織、集団の秩序を守る、という意味では大いに機能するのだろうが)。
コントロールと支配は世代を超えて負の連鎖を繰り返すだろうし(それこそが”絆”とも言えるが)、盲信するだけの構成員や傭兵を育てるだけではやがて社会と衝突したり社会が閉塞する。



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ねないこだれだ (いやだいやだの絵本 4)ねないこだれだ (いやだいやだの絵本 4)
(1969/11/10)
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ご存知『ねないこだれだ』。穂村弘はこの本のオチを「教育的意図を超越している」と評している。
確かにそうなんだけど、でも超越したことでより怖い方、効果的な方に行っている気もするw
ちなみに『ふうせんねこ』は因果応報でもなんでもなくぷーとふくらんで飛んでいって消えてしまう恐ろしい話で子供に深いトラウマを…。

ふうせんねこ (あーんあんの絵本 2)ふうせんねこ (あーんあんの絵本 2)
(1972/12/01)
せな けいこ

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まあ個人的な結論を言ってしまえば、このへんは自分は割りと寛容で、どちらもうまく使えれば良いんじゃないかと思う。
保育園の例で言えば、アホな講師がなにを話そうと自分には影響ないし、もし保育園や保護者への影響を心配するなら、十分な信頼関係を日頃から築いた上で「あー、確かに優しい言葉や笑顔を投げかけると人間は嬉しいですもんねー。、まあ水は綺麗にはならないでしょうけど(笑)心理学的にも脳科学的にも良いんじゃないですかね。まあ水は綺麗にはなりませんけどね(苦笑)。でも挨拶はやっぱり大事ですよね!」とか言いつつ、必要があれば企画者(先生など)に「あれ教材として使うには問題があるんですよ」と教えてあげる、みたいな感じで良いんじゃないでしょうか。

こういう寛容な態度を取ると怒られがちだし、理論や極論の応酬は議論の領域の拡大や限界の確認の意味があるから、それはそれで大事だと思うのだけど、ネットで見かけるような話題はたいがい極端な例なので、複雑な現実を生きる皆さんは別に変に流される必要はなく(つまり無理に誰かを論破しようとかエセ科学を撲滅させようという使命感に燃えるでもなく)、淡淡と目の前の問題と向き合って行かれれば良いかと思います。

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