しかし反撃もここまで

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『インサイド・ヘッド』ピクサーの終わりの始まり?

Category: 映画  
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『インサイド・ヘッド』を観た。
「あまり好みじゃなかった」というゆるふわな話をするので、人さまの迷惑にならないよう、公開が終わりDVD発売まで時間のあるこのタイミングで書く。

*********************

散々言われていたけれど、ドリカムの歌はせめて上映後に流してくれないと「ライリーだれやねん」状態でつらい空気が流れるから、こういう便乗の仕方は今後はやめて頂きたい。
まあディズニーとはそういうものだ、と言えばそうかも知れないが。

内容については、世間で言われている高い評価ポイントに異論はない。少女の何気ない仕草やビンボンのエピソード、記憶のメカニズムの表現、悲しみを含めた自分や他者の多様性を受け入れて人は成長するというテーマなど、見るべき点は山ほどある。
しかし、いつものように「やっぱりピクサーすごい!いやもはや怖い!」と思ったかと言うと、本作はちょっと違った。
好きか嫌いかで言えば、自分でも意外だがあまり好きではない作品だった。

確かにピクサーはこの十数年、素晴らしい作品を作り上げてきた。
ただでさえ優秀なクリエイターが、たくさん集まって議論し、トライ・アンド・エラーを繰り返し、それをジョン・ラセターや才能ある監督たちがまとめる、という手法は、天才的な監督の属人性に依存する職人型の日本のアニメよりはるかに効率的で合理的だし、思想的にもこなれ、アイデアも豊富で、これ以上のやり方はないように思われた。
(かつて自分もこんなエントリーを書いた)

「ジブリ創作のヒミツとキツすぎる葛藤400日」
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-entry-55.html


しかし、この映画を観て自分の抱いた感触は、最近のWIREDやCOURRiERの記事を読むような、ちょっと「いけ好かない」感じだ
(恐らく今回のエントリにあなたが共感するかどうかはこの文章にピンとくるかどうか次第だろう)

確かに頭は良いしセンスもいい。
でも、そういう方向でやるなら、もっと突き抜けないとちょっと物足りないし危うい。

誰かがこの映画を「人間は脳の中のナニかの乗り物じゃない!」と批判していたが、今どきそんな素朴な人間観を披露して怒る人がいるとは思わなかった。(じゃあお前の主体性とは、自由意志とは何なのか、見せてもらおうじゃないか!)
そうではなくて、この映画に突っ込むなら「所詮人間は乗り物だが、人間の脳の中はそんな単純じゃない」という方向だろう。
もちろん寓話なんだから科学的に正確で詳細であればえらい、というわけではないし、ちょいちょい「最先端の脳科学や心理学の知見を盛り込んでます」感は十分ある。
それにいわゆる「脳内会議モノ」でよく登場する分類、たとえば天使と悪魔とか、理性と本能といったいろんな候補の中から「ヨロコビ、カナシミ、イカリ、ムカムカ、ビビリ」という素朴な感情に絞ったのは、当然「普遍的な(子どもの)成長」が主題であるという意図があったからだろう。

しかし、「天使と悪魔」のような大人向けの軽いコメディならともかく、普遍的に描くにはそもそものアイデアがうまくいっておらず(インタビューによるとヨロコビをリーダーとすることはやはりいろんな紆余曲折があったらしい)、結果としての「意識」のイメージは、あまり目新しくも納得行くものでもなかった。

それにそもそも、たとえば普段子どもと接する時に、この映画のようなある種のメタ視点を持たせるかどうかはかなり気を使う。
こういう視点を持つことが出来れば、自分の怒りや悲しみを客観視できるし、うまくコントロールできるようになるかも知れないが、それはそれなりに強力なイメージとなってその人の人生観や世界観を支配してしまう可能性があるから。
要するに世のすべてがそうであるようにバランスとやり方次第なのだが、この映画の描き出すイメージは、自分には、少々乱暴で、中途半端で、過渡期的なものに思えた。

『トイ・ストーリー』以降、クリエイティブで、合理的で、ポリティカルにコレクトで、老若男女全方位に対して訴求し、寛容で、何より面白くて、笑えて、泣けて、すべてにおいて隙がなく完璧だと思われ、愛されてきたピクサー。
しかし、ディズニー傘下となり、その強みが逆に枷となるならば、これは終わりの始まりなんじゃないだろうかという気さえした。
(だからといって、今度は天才の狂気や職人魂がエリート集団を打ち負かすターンだぜ、とは思わないが。)


とっ散らかっていろいろ書いたが、単に俺の考える脳内と違って気に食わない、という好みや人生観の話かも知れぬ。
これが素晴らしいイメージだと言う人もたくさんいるだろう。
そういう人をバカにするつもりも、文句を言うつもりもまったくない。

ただ、たとえば洗脳や思想統制や選民思想といったよくあるディストピアは、横暴な独裁者や強大な権力によってなされるのではなく、案外ディズニーやピクサーによってなされる日が来るのかも知れない、という想像をしておくのも良いんじゃないか。
もちろん陰謀脳になれ、という意味ではないけれど。

うまく言語化できなかったし、誰かを納得させたいわけではないが、少なくとも今の時点では、自分にとって『インサイド・ヘッド』は好みではない作品だった。

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『アナと雪の女王』雑感いろいろ

Category: 映画  
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『アナと雪の女王』について思ったことを雑然とメモ。
ネタバレあり。

・2D吹替、3D吹替と2度鑑賞。とても良かった。
『ミザリー』や『クロニクル』のように、溜め込んだ怒りと悲しみが爆発して皆殺しじゃー!ていうシーンは最高だけど、敵は環境や己のうちにあってそこから解き放たれてワシは自由じゃー!ていうシーンの方が教訓的だけどやはり胸に来る。
倒すべき敵がいるわけでもない抑圧からの解放というのはとても泣ける。
『アメリ』もゆるふわおしゃクソ映画のようでいて、親が死んでアメリが解き放たれるシーンは泣けた。そこが終わりじゃないけど、ようやくスタートが切れる。

・自分には幼い娘がふたりいて、ご多分に漏れずプリキュアを見たりお姫様物語を読んだりしているけれど、今後成長するにつれ、女性としてどういうロールモデルを親として提示したら良いかけっこう悩むことが多い。ディズニーのプリンセス新古典はそういうテーマに対するひとつの答えになるだろうな、という気はする。

・アナ(エリサ)もメリダもラプンツェルもアメリもおおかみこどもも、女性が主役の新成長物語は体制と敵対して突破したり理性や合理性で打ち勝ったりというのではなく、運命や社会を愛憎や葛藤の果てに受け入れた上で個人として自立する形が多い気がするな。そうならざるを得ないことや、それが現状を追認しかねないことへの批判もあろうが、しかし身の丈の哲学として、現実的な戦略として、あるいは新古典としてまずそれがしっかりと語られる価値というのはあるはずだし、必要ならそれを足場にそこからまた一歩進めばいい、ということなのかも。

・過去の作品や時代という文脈を経てのディズニー最新作かつプリンセスものなので、もちろんジェンダー論的な批評を受ける用意はあるだろうし、それに固執する人がいるのは当然だろう。
しかし一方で、エルサの「能力」は説明がなく先天的なものとして描かれるし、また全体のメッセージとして、あまりジェンダーだけに特化して語られることを回避しているように思える(作品的にも、政治的にも)。
つまりエルサの能力は性別、人種、性格、気質、才能、病気、障碍といった「個性」、そして誰にでも理不尽に訪れる葛藤や衝動を象徴するように作られている。

・その中から、いま自分に必要な「個性」をチョイスして己の生きづらさや悲しみを託すのは作品の消化の仕方としてとても正しいことだ。映画を見る、本を読むといった行為は極個人的なものだのだから。
でも同時に、その行為が他者の「個性」とどう関わるか、ちょっと思い巡らしても良いかも知れない。
たとえばエルサの個性が「エレファントマン」的なものだったとしたらどうだろう。
あるいは城に戻った後にエルサは「才能を捨て、社会に迎合し、スケート場を作るチンケな人生」を送ったのではなく、「触れるものすべてを燃やす子ども」を助けてあげる後日譚があったと想像してみるのは悪くないのではないか。

・ディズニーの目的は基本的には「古典=クラシック」を作ることだし、作家性よりもブランド性を重視している。
また、若い衝動やラディカルな青春映画を作るのではなく、「親子で楽しめれる」”保守的な”作品を作るのが基本。
だからディズニーに対してあまり無茶な要求をしても「それはよそでやるべき」だということかも知れない。
そもそも作品のテーマを万人に押し付けて洗脳しているわけではないし、古典や常識とは言え常に議論に晒されてアップデートを求められるからこそ今回は新しいプリンセスものの定番ができたわけで。
もちろんディズニーは決して反論しないでそういう意見も飲み込む度量の深さ=普遍的な価値を目指しているだろうけれど。
「ベタ」が更新されれば「常識」や「倫理」もアップデートされるし、ラディカルな思考もジャンプするための足場が高くなって射程が伸びる。そうやって少しずつ変革していけばそれでいいんじゃないでしょうか。

・ただ、ラストは”偉大なるベタな社会観”を一応是とするならばもっと盛り上げられたのに、それをしなかった。
映画の構造としては、

 1.前半の抑圧と悲哀
 2.中盤の解放と「Let It Go」による圧倒的なカタルシス
 3.「For The First Time In Forever (Reprise)」で自由の代償を痛感し挫折、後悔するエルサ
 4.終盤で「真実の愛」つまり普遍的な愛情、他者への理解、社会性やノブレス・オブリージュの獲得

という流れなので、たとえば公務に嫌気のさした王女様が自分の使命を悟って大人へと成長する『ローマの休日』や、己の中の衝動や欲望と折り合いをつける『ライフ・オブ・パイ』のような映画にできたはずだ。
しかし意図的かどうかはともかく、強く落とさないバランスに仕上がった。
まあラストをもっとわかりやすくするとか、終劇後の「Let it go」の歌詞を少し変えるとかいう手はあったかも知れないけれど、あまり説教臭くなってもアレだし、気持よく「Let it go」を歌っているところに「いや大人になれよ」と冷水浴びせるのはそれこそ大人げない気もするので、これで良かった気もする。

・ハンス王子については初見時にはやや唐突だなと感じたけれど、これを読んで納得した。
「ハンス王子の解釈 Red Notebook」

「「ハンスって誰?」とオラフは尋ねます。その答えは、人ではなく、キャラクターでもありません。彼は鏡なのです。それも、もしかしたら超自然的な鏡かもしれません――周りの人たちを、彼らの愛や恐れ、悪徳や美徳、人生や死を反映する鏡なのです。」

・一方、アナとクリストフが話すときは鏡ではなく本能/理性、本音/建前、個性/社会性のように相反する対(つい)の言動をしていた。
 
 納屋でアナがクリストフに同行をお願いする/王女として命令する
 アナにはハンス王子がいるんだ/それでいいのか(スヴェンとの腹話術)
 オラフの夏への憧れに「本気か?」/「いいじゃない」
 ラストシーンのキスをしない?/する?

というように。
このふたりは上記のふたつを(エルサとは違い)二項対立としては捉えていない。かと言ってふたりは最初から完璧なわけでもなく、悩んで、話して、トライして、エラーして、学んで、改善していこうとする。
アナがエルサを助けに氷の城に行き、説得するシーンは、アナはポジティブだけど打算的で鈍感に思える。だからエルサを追い詰め、パニックを起こしたエルサから氷の刃を心に受けてしまう。
これは確かに幼いミスだ(どちらにとっても)。だからこそ「鏡であるハンス」に同じように裏切られることになる。
しかしアナは学ぶ。そして成長する。さらにエルサにも大切なことを気付かせる。
アナは先天的な「善」や脳天気なポジティブさを体現しているプリンセスではなくて、現代的な行動力と合理性、現実的でプラグマティックな態度を示したキャラクターなのではないか。
だからこのふたりはもし恋人や夫婦になり、たとえ困難があったとしても、パートナーとしてうまくいきそうな予感がある。

・『Let It Go』ほか、劇中歌の翻訳はいろいろ苦労したと思うし日本語の限界もあるけれど、「私らしく」という言葉を(たぶん意識的に)避けたのはよかった。それを使ってしまうと一気に陳腐で浅はかさで独善的なってしまう。
また、「ありのままの」という歌詞は不適ではないかという意見を見たが、キャッチーで子どもでも歌いやすくてリップシンクもしてもちろん意味も…となるとあれ以上の訳を思いつかなかった。言いたいことはわかるけれど、そもそも日本語と英語は違うし、翻訳、吹替というのは良くも悪くもそういうものだし、現代は瞬時に原詞を確認できるのだから無問題ではないか。

・ただ、個人的にはこの映画で一番クリティカルだと思う『生まれてはじめて(リプライズ)』のエルサの訳はこれで良かったのか考えてしまった。これは二度の『let it go』を繋ぐ重要な曲だけど、
「Elsa: OhI'm such a fool! I can't be free!」
を「酷いわ 悲しい」、後に続く部分を「無駄」「無意味」としたのはちょっと厳しいかな。
「アホだけど無意味じゃないよ!糧になるよ!」と言ってあげたいところ。

・表情の描写は日米の文化差が出て面白い。
もともと欧米人は日本人に比べて表情筋が発達していて目や眉、口などの動きが大きいけれど、日本人として見るとややお下品というか、片眉片口角あげてドヤ顔でニヤリとか目を細めて姑息なスネオ顔とか普通にプリンセスがやるんだなー、まあでもそれこそ「パーフェクトガール」じゃないことの証明でもあるしな、でもそもそもああいう顔をセクシーと感じる文化がもともとアメリカにはあるよね、みたいな。

・洋画が公開される際には必ず「今回の吹替は大丈夫かどうか」が問題になる。
その点この映画は話題性を狙って変な芸能人を呼んだりせず、ちゃんとローカライズに労力とお金をかけていたので文句なしでした。
ただ、公開時に25カ国バージョンをYouTubeに上げて「日本語:英語」だけじゃなくてどこの国も吹替してるんだよ、と周知することで視野を広げ、吹替の良さを意識させたこと、また同時に「松たか子バージョンは世界的にも評価が高い!」という記事を出したことはうまかった。
いや実際松たか子バージョンは素晴らしいと思うけど、「世界的にも~」みたいなお墨付きがあると、根拠はよくわからなくてもとりあえず安心して楽しめるものなんですよ。おかげでどんなに素晴らしくても難癖付けるようなしょうもない批判もほぼ見なかったし。
ちゃんと労力かけて文句のないものを作った上で広報も練られているってのはさすがですね。


脈絡なく雑然と書き連ねましたが、とりあえず以上です。
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『ツリー・オブ・ライフ』感想

Category: 映画  
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テレンス・マリック監督『ツリー・オブ・ライフ』を見た感想をツイッターでつぶやいたので、それのまとめです。レビューでも解説でもありません。
自分でもやや乱暴だとは思いますが、なんというか、自分が生きていく上で、こういう態度は表明しておきたい、と思ったので。
宗教観の違う人を全否定しているわけではありません。あしからず。





『ツリー・オブ・ライフ』見てきた。こういう映画の演出や編集、演技などについて語るのはさほど意味がないからしない。テーマについて精一杯誠実に語るなら、俺にこのテーマは関係ないし、関わりたくない。
posted at 00:24:18


なぜこんなに偏狭で幼稚で単純な価値観を無邪気に讃えるのか。正直苛立った。神についてはよくわからない、と言った方が正しいのだとは思うけれど、これは悪意だ、と明確に感じてしまった。愚かな家族よ、君たちは神にすがる前に、もっと自分たちの頭で必死で考えろ。
posted at 00:30:42


『ツリー・オブ・ライフ』宇宙創生から地球史、生物史を一気に振り返るシーンや神の存在を感じさせるような自然の過酷さ、美しさを捉えたシーンは、確かに素晴らしいかもしれない。でも、自然としてただひたすら美しいものを、お前らの神のために利用しないで欲しい。穢れるからさわるなクソが。
posted at 00:42:33


@Paul_Numan というある意味典型的な日本人っぽい感想で申し訳ない。
posted at 00:44:04


コクリコ坂、ゴーカイジャー&オーズ、そしてツリーオブライフと、夏休みに見た映画は個人的にはどれもひどかった。家でどんぐり並べてた方がマシだったわマジで。
posted at 00:49:42


『ツリー・オブ・ライフ』が観念的、哲学的映画、だって? 「映像美が素晴らしい!」だと? 「『2001年』を彷彿とさせる」だとぉ? 「深イイ(ry
posted at 02:49:05


映画やアニメなどの話題作を自分でちゃんと見ると、世の批評家さんやらブロガーさんやらと自分の考えの共通点、相違点がそれなりに見えるから良いですな。もちろん自分の考えだけに固執するつもりはないというのが大前提ですが。
posted at 02:53:44


RT @Paul_Numan: @shikahan いえw僕はまだ観てないのでお気になさらずに。ぼんやりとイメージするに、好き嫌いが真っ二つに分かれて、その間には、壮大なワードの前に「考えさせられた、って言っておけばいいか」って層がいるって感じですかね。
posted at 02:57:15


@Paul_Numan 深イイ層、ワケワカラン層はともかく、シネフィル的に知識や技術論を語るのは監督にとっても本意じゃないはず。宗教や神に対する自分なりの見解や覚悟を語らなければ、そんな批評は無意味だし不誠実だと思んよ。
posted at 03:03:32


@Paul_Numan で、俺は他人の宗教や神、信心などに対しては寛容だけど、自分としては断じて受け入れないと決めている。ただこの映画の宗教観は、崇高な善意のフリをした悪意と感じるくらいに、あまりに幼稚に思えた。それに正直耐えられなかった。
posted at 03:08:18


@Paul_Numan キリスト教はもちろん多くの宗教は長い歴史を持っていて、現在の日本に住んでる無知な俺が容易に批判できる代物じゃないけれど、それでも言い訳や屁理屈や利権や政治のために理論武装しすぎて時代遅れの醜い怪物に見える。救済や善行も、怪物の吐息に過ぎない。
posted at 03:15:40


@Paul_Numan とか名前出して書き辛いから、批評は適当に粗筋なぞって映像美が!とか哲学的なテーマが!て言うしかないのかもね!
posted at 03:17:48


信仰をお持ちのフォロワーさんお目汚し申し訳ない。と詫びるほどフォロワーいない。深夜だし。けど一応。
posted at 03:37:37



映像美や演出、演技、アイデアなどを無邪気に褒めているあなたは、この映画の監督が大作や彰晃や法王や秋元だったとしても同じように褒める覚悟があるかどうか、一度考えてみた方がいい。
作品と思想は別物?確かにそういう言い方をすべき場合もある。
しかしこの作品を作った人はそれを望んでいるか?真摯に向き合う気があるのか?
それをしないあなたの判断は、所詮中身も覚悟もない表面的な批評でしかない、ということだよ。




『祈る』―― はっきり言えば取るに足らない、たった一人の請願者の利益のために、宇宙の法則をねじ曲げるように求めること
アンブローズ・ビアス

「もし私のなかで、宗教と呼べるものがあるとすれば、われわれの科学が解明できるかぎりにおいての世界の構造に対する限りない賛美である」
アルバート・アインシュタイン





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【ご参考】

「Toggeter/蓮實重彦が映画「ツリー・オブ・ライフ」を酷評。その反応。」 http://t.co/CHaPBtO


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ハスミンも文句つけてるぜヒャッハー!と思ったものの、正直ハスミンの真意はこの文章だけでは理解できなかった。一応リンク。
『群像』10月号 映画時評〔34〕蓮實重彦

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テーマ : アメリカ映画    ジャンル : 映画

What a Terrible Life!!

Category: 映画  
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戦前から続く大手製菓メーカーであるヨシハラ製菓(仮)と言えば、その独自の商品開発力と幅広いラインナップによって全国的に有名で、長年シェアトップを維持している業界の盟主だ。特に地元の関西地区では非常に人気が高く、子どもから老人まで愛されている。
木元さんは、そのヨシハラ製菓に勤める非常に優秀な職人だった。

器用さ、手際の良さ、独創力、新しい技術に対する感受性も素晴らしく、これまで会社の事業に大きく貢献してきたし、プロの職人として業界では尊敬の対象になっていた。
元々エリートではなく、いくつか職を転々とした後に中途採用で入社した苦労人だ。希望の製造部に入ったものの、しばらくは不遇を味わったが、その腕が評価されるにつれメキメキと頭角を現してきた。
自身も下積みが長かったためか、後輩の面倒見もよかった。尊敬と親しみを込めて「アニキ」と呼ばれ、彼を慕う部下が自然と集まるようになった。
また先輩への気遣いにも優れており、特に当時直属の上司だった松井部長には公私共に目をかけられていた。
関東新工場立ち上げの際には製造部門の責任者に抜擢され、期待通りに輝かしい成果を残した(ちなみにこの工場の主力商品で当時大ブームになった『GOTZ』は自分も大好きだった)。
松井部長も現場上がりの天才的な職人だったので、お互い通じるものがあったのだろう。二人は強い信頼で結ばれていた。

木元は仕事には相当厳しく、部下を激しく叱責することもあり、また粗暴な振る舞いも多かったが、昔から上下関係を重んじることが良しとされる社風もあり、さほど問題にはならなかった。むしろその古き良き日本的な組織哲学や男らしさが積極的に評価されることの方が多かった。

やがて「現代の名工」「カリスマ職人」として雑誌などで取り上げられる機会も多くなり、一般的な知名度も上がった頃から、木元は次第に現場から遠ざかるようになった。
当初は自身の経験を元にした仕事術や技術論についてのインタビューや講演会を開く程度だったが、彼自身が有名になったことで、趣味の園芸について語った本まで「アニキ流」として出版するようになった。
元々凝り性の職人気質なので、内容もそれなりに充実したものではあったが、とは言えさすがに「畑が違う」印象は拭えなかった。
彼自身、職人だけで終わりたくないという欲求があったのかも知れないし、金銭欲、名誉欲もあったろう。それは別に責められることではない。しかし、彼を単なる職人にしておくより、会社の知名度アップや営業活動の為に積極的に利用しようと考える経営陣の思惑とも合致したしたことで、止める者がいなくなってしまった。

会社は木元に、新たに立ち上げたばかりの「音楽事業部」のプロデューサーに就くよう辞令を出した。驚いたことに、それは所属アーティストの広報などではなく、素人の彼に作詞、作曲をさせる、つまりアーティストになれ、というものだった。
会社は彼に、他社がやっかむほどの十分な予算を組み、また他の業務も従来通りやって構わない、という破格の待遇を与えた。
無謀だと言う人もいたが、木元は二つ返事でOKした。TV出演などを通じて音楽業界をいくらかは知っていたし、また以前他社のCMソングを歌った際には意外と評判が良かったので、それが自信になっていたのかも知れない。肩書きが好きな彼には「アーティスト」という響きも心地良かっただろう。
何より、木元が慕う松井が事業部長として立ち上げに関わっている、というのも心理的には大きかったと思う。

世間はこの試みに期待した。あの「アニキ」が、「アニキ」以上に天才と謳われたMが作る音楽に期待した。
きっと素晴らしい職人だった木元や松井のことだから、まったく新しい音楽を作るのではないか、と。

しかし、この試みはあまりうまく行かなかった。
松井はかろうじてヒットと呼べる程度のアルバムを作った。批評家筋や広告のプロからは「勉強不足」と一蹴されたものの、松井のファンからは、その哲学風、難解げな味付けが好意的に受け止められた。
一方、木元の作品の出来は、素人目にも褒められたものではなかった。松井とは違い、極めてオーソドックスなスタイルで、音楽理論に敬意を払うそぶりは見せながら、出来上がったものは非常に退屈で、その上完成度の低い惨めなものだった。

松井も木元も、会社の潤沢な予算やバックアップのお陰で、引き続き「門外漢」の音楽を作り続けた。
松井は自分の天才性、カリスマ性を全面に打ち出す戦略に出たが、評判は前作以上に悪かった。職人の世界では卓越したセンスを持っているが故に、さほど才能や知識のない他分野についても、センスだけで乗り越えようとする姿勢が彼自身の限界を露呈してしまっていた。長年コンビを組み片腕と呼ばれた秘書ら取り巻き連中も、彼を裸の王様にし、事態を悪化させているように見えた。

木元は松井の失敗を知ってか知らずか、意外に手堅く作品をまとめようとしていた。
しかも次の曲は、彼の本分である製造の現場が歌詞のテーマだということで、彼の職人としての見識の深さや腕の確かさを知る者ほど期待した。
しかしまたしても、凡庸な歌詞を拙いメロディに乗せただけの代物が出来上がった。
「明日が今日より幸せになる。」
という安っぽいサビに、専門家は失笑した。Wonderfulだと?
「What a Terrible Life!!」

だが驚いたことに、ヨシハラ製菓は自らが音楽賞を創設し、彼ら音楽事業部の作品に賞を与える、というマッチポンプを繰り広げた。その上、若手の職人を次々に音楽事業に抜擢し、その作品とやらをお菓子の販路で強引に売りまくった。
最初は期待し、それなりに満足していた元々のファンたちも、次第に木元や松井、そしてヨシハラ製菓のやり方に違和感を感じ始め、ついには憤りすら覚えるようになった。
「もう、俺たちの松井や木元をカリスマ扱いして商売に使うのはやめてくれ!」と。

**************************************

これは松井や木元の個人の資質の問題なのだろうか。
もしくは、彼らの素人ミュージシャンとしての拙さを揶揄すれば良い問題なのだろうか。
社会人として、ビジネスマンとして働く以上、より儲けたい、有名になりたい、と思うのは決して悪いことではないし、自分の限界を超え、新しい分野に挑戦する意欲は誰に否定されるものでもない。会社人とは言え自分の人生設計は自分で決めるものだし、その責任を自分が取るのであれば、何をやろうが、何を言われようが、己の信ずる道を行けばいい。

ではヨシハラ製菓という会社や、それに絡む物流、小売の問題なのだろうか。
素人集団の音楽事業部を立ち上げようと、マッチポンプで盛り上げようと、それは私企業の自由だし、結果的に赤字を出した経営手法の是非は論じることが出来てもそれ以上は述べにくい。「お菓子も音楽もバカにしている」とか「カネに困ってる優秀なアーティストに投資した方がいい」という批判もあるが、それは結果論でしか無いし、基本的には余計なお世話だ。それに、効率が悪そうに見えても、このまま続けていけばいずれ大きなヒットや素晴らしい作品が出ないとも限らない。
物流と小売の支配についても、資本主義である以上、違法行為がない限りは問題はない。それに物流や小売だって大はしゃぎで協力しているのだし。


そもそも私はヨシハラ製菓のお菓子が大好きだった。
「安くておいしい」をモットーにする吉木の商品は、金がなくても小さな幸せを感じることが出来た。
自由な発想で生まれる個性的な商品に、いつも心をときめかせてきた。
でも大人になるにつれ、ヨシハラ以外のお菓子の味も知ってしまった。
小さな店ながらも腕の立つ職人さんが作った、強烈に酸っぱくて癖になったあの味とか、海外に行ったときに食べた、苦いけど何故か胸がすく気がしたあの味とか。

同時に、ヨシハラについてもいろいろなことを知った。
社風は想像と違い、自由どころかひどく窮屈で、典型的な体育会系企業、最近の言葉で言えば「ブラック」だということを知った。先輩には絶対服従、逆らおうものなら退社に追い込まれることもザラだという。
もちろんヨシハラにも、現代的で自由な部署もあると聞く。実際、若手が積極的に企画や開発に参加できる風土は、他のどの会社よりも進んでいるだろう。年功や序列を重んじるとは言え、給与は昔から相当に実力主義だ。
しかしつい先日も、木元の後継者と期待され、音楽事業部で一番の実績をあげていた高輪という若手のホープが、製造部の後輩を執拗にいじめていた、と暴露される記事が出た。少し前には幹部の一人が他社の若手を公の場で恫喝する、という異常な事件も起きた。
それはかつて皆が賞賛した「アニキ流」の組織論と本質的には同じことだということはあまり語られなかった。
いやむしろ、お菓子や音楽ではなく、そういった構造や人間関係を味わってこそ通だ、と分析する声すらあった。

でもそれ以上にショックだったのは、私が大好きだったお菓子は、劣悪な環境、低賃金、長時間労働の下に置かれた工場労働者に「夢」という名の餌を与えて生産されたものだったことだ。
庶民の味方を気取った「安くておいしい」という社是は、一万円のランチを食べながら貧しい人を酷使することや、なけなしの銭を払ってお菓子を買う客によって支えられていたのだ。


つまりこれは、木元でも松井でもヨシハラ製菓でもなく、私たちの問題なんじゃないだろうか。
みな、ヨシハラ、そして松井や木元が演じる「カリスマ」や「組織論」に、あるいはその甘いお菓子に、どんな夢を見てきたんだろう。
失われた日本的経営、家父長的なものに対する郷愁?長いものには巻かれろという現実的な処世術?コミニュケーション力や人間関係のヒント?まさか園芸のテクニック?
それとも、私が「お菓子」に、それこそ甘い幻想を抱き過ぎていたのだろうか。あるいは「お菓子」が作られるまでの厳しい現実を知り過ぎてしまったのだろうか。
お菓子は所詮お菓子でしかない。甘くて、楽しくて、おいしくて、それで終わり。現実から逃避するためだけのもの。そこにメッセージもテーマも批評もない。
それで本当にいいんだろうか?


ヨシハラ製菓は今後も業界で圧倒的な立場を維持し続けるだろう。実際、お菓子のおいしさや新製品の量では他社の追随を許さないのだから。
しかし最近、大規模な流通経路には乗らないものの、クチコミで話題になったり、通販で手軽に買えるようなものも増えてきた。
それは食べる人の感覚や常識に挑戦し、挑発し、時には不快にすらさせるようなものだが、単に甘いものだけに飽きた多くの人に、強く支持され始めている。

長らく続いた「お菓子ブーム」は曲がり角を迎え、また日本の社会が変化していく中、「お菓子」ってなんだろう、「安くておいしい」ってなんだろう、という根源的な問題が問い直されるだろう。
そしてその時は、今までヨシハラ製菓が仕掛けた「お菓子ブーム」の手のひらの上で、うまいまずいを語ったり、年末のお菓子グランプリで盛り上がったり、チョコの含有量を測定して優劣を語ったり、パッケージの可愛さで飛びついたり、「お菓子がある場の空気」やお菓子のキャラと組み合わせを分析したりして批評した気になっていた我々の上にも、その問いが重くのしかかることになるだろう。


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「借りぐらしのアリエッティ」は蟻をバカにしすぎ

Category: 映画  
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盆休みで混雑するシネコンに行って、三十路の野郎ふたりで観て参りました。
本当は娘を連れて行きたかったんだけど、レイトショーだったので断念。
というわけで汚れちまった大人の感想は以下の通り。

【たのしかった点】

・耳すまっぽいブタ猫とかラストとか、ジムシーっぽいスピラーとか、王蟲っぽいダンゴムシとか、その他ジブリの過去作へのオマージュが満載で楽しい

・冒頭のシーン、アリエッティにとって初めての「借り」シーンでの、いつ人間に見つかるか、という緊張感(ある意味ここが興奮のクライマックス)

・アリエッティに会って、おそらく初めて同種の女の子を見たスピラーが弓をギンギンに怒張させるところ

・細かすぎて伝わらないハンダ付け

・音響
 初めて人間のキッチンを見たときにフラッシュバックする、くぐもった大音響の生活音は、床下から14年間聞き続け、そして想像し続けただろう家の中(人間世界)と、今ついに目の前にある光景を音だけで繋げた名シーン。

・ジブリはやっぱ鼻がサイコー
 90年代までの鼻表現(貞本義行みたいなくの字にクニッと曲がって影が付いてるやつ)が心底苦手だったので、ゼロ年代に入ってから次第に省略方向(けいおんとかほぼない)に進んで一応安心していたけれど、やっぱりちゃんと鼻の穴まで描いておきながら主張が少なく、美少女造形を維持できるジブリの鼻はサイコーかと。
 ※参考資料:WebLab.ota「最近のアニメのキャラデザと10年前のアニメのキャラデザ」
 http://d.hatena.ne.jp/n_euler666/20100110/1263142708

【いやんだった点】

・家政婦のハルがガッペムカつく。
 なぜあそこまで嫌なことをするのかがわからず、途中から登場するだけでイライラ。心臓病のぼっちゃまを監禁するリスクまで犯して家政婦がでしゃばるならしっかりした理由がないと困る。話を進める牽引力にもならない。動機の描写を10秒でも入れてくれたら、共感するなり敵役として反感を持つなり出来るのだが、よくわからないままただただ田舎の嫌なババア感だけは満載なので(食事の仕方も下品で、あんな人を貞子大叔母様が雇うわけない!)観ているのがつらい。

・アリエッティの母ホミリーがムカつく。
 痩せ魔女顔でバカで感情的でうるさい女を大竹しのぶが…耐えがてぇ。
 ハルVSホミリーは今世紀最大の底辺対決。

・翔の理解者であり庇護者であるはず?の貞子大叔母様も許せねえ。
 子供の前で両親の悪口言う感じがすごく嫌だ。

・登場する女性3人全員がこの有様なので、キラキラした初恋物語を演じているアリエッティも、将来そんな感じになるかと思うと激萎え。

・笑えるシーンがほとんどない。
 ハルのコミカルな動きも上記の理由で笑いに繋がらない…というか、今更こんなので客が笑うと思うなよ!

・もともとアリエッティの家は洒落ているので、精巧に作られたドールハウスのキッチンに変わっても、ビジュアル的にさほどインパクトがない。そもそも小人の世界では、当然スピラーのように「狩りぐらし」生活を送っている奴もいるのにアリエッティ一家はいくら「借りぐらし」とはいえあまりに文化的過ぎ。洋服はともかく、食器も発電機もベルトも、出来のいいものが揃い過ぎていて工夫して作った感が乏しい(※これは後述の蟻問題にも関わる)。

・俳優が声をあてるのはもうしょうがない…にしても、せめてエンドロールで紹介して欲しい。せっかく先入観を持たないように事前情報をシャットアウトしてるのに台なし。
 ただ、神木くんと志田未来は個人的には良かった。 
 
・今更ジブリにこんなこと言うのもなんだけど、思春期少女好きすぎ。
 洗濯物干して「わたし、こういうのだいすきなの!」と言わせる、女性に母性と少女性を同時に求める甘えんぼさんな感じは相変わらず。

【その他の点】

 ・砂糖を返しに窓からやってきたアリエッティと翔の会話、「姿を見たい」「だめ、お父さんに怒られちゃう」的な会話のやりとりがエロすぐる。完全に思春期中学生カップル。
 
 ・と考えると、身内の邪魔が入るという定番によって生殺しになった翔の書いた二枚目の手紙(一枚目は「わすれもの」)の文面(映画では明らかにされず)は「こんどこそ」もしくは一歩進んで「さきっちょだけ」だと推測される。
 
 ・翔とアリエッティの関係は「耳すま」の天沢&雫より、実は「花より男子」の道明寺とつくし的な関係と共通点多し。

 ・抑揚がない、高揚感がない、と批判する人も多いけど、小さな物語と思えばまあ…

 ・アクションの動きが遅い、という批判は、小さな生物にとって空気はかなり重い物質で粘度が高い、という科学的事実に拠っている…と思おう。

 ・ジブリにクソ真面目なテーマとか求めてケチつけたり、逆に変な深読みして得意げになるのはもうよそうよ。


とかいろいろあるんだけどさ…やっぱ一番思ったのは、

てめー蟻をバカにしてんのかよ!

ってことだ。

想像してごらん。
地上最強の生物とまで言われる蟻が巨大化して目の前にウヨウヨしてる世界を。
それ普通臨戦態勢でしょ。
てか臨戦どころか一気に『フェイズⅣ』だよ!


それを小娘アリエッティがホイホイと簡単に放り投げるとかマジありえない。お前の手首、いや首なんてひと噛みでブッチンだよ。だからアリエッティは蟻を見かけた瞬間、ジブリお得意の総毛立ち描写をしてダッシュで逃げる、というくらいじゃないと。
もし少しでもモタついたら、蟻さんはあっという間にお前を取り囲み、お気に入りのブーツから4,5匹よじ登って一瞬でバラバラにし、巣にお持ち帰りされるに決まってるね。それくらいヤバい相手。んで助けに来た翔に対して蟻さん代表が「いや狩ったんじゃないよ、借りただけだよ」と開き直り発言。
そこでようやく真のタイトル「狩りぐらしの蟻エッティ」ドーン!!


…と、ひと通りふざけて言ってみたけど、別に蟻エッティが言いたかったからじゃなくて、これ結構大事な話だ。こういう作品、つまり擬人化された動物とか物とか小人とかは、当然人間とはサイズや習性や構造が違うから、そこでどんなイマジネーションを提供できるか、というのが作り手にとって大きな見せ場、勝負どころになる。
「小人になるってこういうことか!」「小人だったら確かに世界はそう見えるかも!」とハッとするような想像力とか発見とか異化作用と呼ばれるようなものが優れている作品は、テーマなどとは別に、その表現だけで突出した、心に残る作品に成り得る。

たとえばジブリで言えば、『となりのトトロ』でめいちゃんを探してとお願いされたネコバスの行き先が「めい」に変わるこのシーン。
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アッと膝を打てるし、笑えるし、可愛いし、ほんのくすぐり程度のサイズだけど、とても良いシーンだと思う。

もちろんアリエッティでも、繰り返し登場するお茶を入れるシーンをはじめ、顔よりも大きなビスケットを砕いて粉にし、袋に貯める(おそらく他の料理に使う)シーン、釘やホチキスなどを足場に使うシーン、アリエッティの髪留めクリップ、マチ針の剣、部屋に飾られる紫蘇の大きな花など、「小人の世界」を体験させてくれる描写がたくさん出てきた。
特に水滴の表現は、米林監督がポニョで担当した例の海底大爆発シーンがあったからか、お茶に限らず水の粘度だけ異常に高い描写がてんこ盛りで、雨粒の滴り方とか、その雨粒が服に絡まったのを掴みとったりとか、よねっちの表面張力大好きっぷり(はやおっちは重力大好き)はすごく伝わった。


でも、正直言って、ほとんどグッと来なかった。
あ、そうか!とか、なるほど、それ面白いわ!とは、ちっとも思えなかった。
確かにひとつひとつは丁寧なプロの仕事ではあるけれど、ニコ動なら「その発想はあった」のタグを貼りつけたくなるシーンばかりだった。

内田樹が自身のブログの中で、水滴の表現のことを「面白い」、こういった想像力を「素晴らしい着眼点」と褒めているが、いや待ってくれ。そりゃないだろう。たとえば小さな生物にとって水滴がどういうものか、というアニメによるチャレンジは、映画ファンなら誰でも「アンツ」(1998年)を思い出すはずだ。

…って、また蟻かよっ!
やっぱジブリは蟻に謝るべきだな。

ともあれ、既存かどうかはともかく(元ネタ探し合戦をやってもしょうがないし)、驚きとユーモアと知性に彩られた輝くアイデアは、内田センセは感じたかも知れないが残念ながら自分はさほど感じられなかった。
   


リアルで水滴と格闘するカワユスな蟻さん


蟻の集団表面張力。


CGアニメと言えば、もちろんピクサーが大好きだ。
例えば「カーズ」。
クルマが人だったら個性やカッコよさを何で表現するのかとか、スタジアムでの群集描写シーンとか、ワイパーやサイドミラーの使い方にいたるまで、確かにクルマだったらそうやるだろうなあ、とか、これがそう使われるのか、と驚かせてくれるような世界観の丁寧な構築や想像力が本当に素晴らしいと思う。
他にも、ウォーリーは掃除ロボだからこうやって長い長い時をひとりで過ごしてきたのだな、とか、おばけ会社があるおばけ社会の仕組みとか、挙げて言ったらキリがないし、きっとみんなそれぞれに心に残る「ハッとした」シーンがあるだろう。

そしてそれらはきっと、ひとりの個性あふれる”天才監督”の天才的ヒラメキの産物じゃなくて、ものすごく優秀なクリエイターたちが様々に議論を繰り返して、アイデアを出し合い、推敲を尽くして創り上げていったものなのだろう。



日本のアニメは文句なく面白いし先進的だし素晴らしいと思う。
でも最近のジブリは、たとえばピクサーの作品群から比べたら、脚本も描写もアイデアも、劣っているどころかすでに周回遅れになってしまっているんじゃないか、と寂しく感じてしまうこともある。
宮崎駿の後継者が云々、という議論をしている場合なのだろうか。
もちろんそれはジブリやアニメ産業だけの問題ではないのだが。




※ついでに※
小人ではないけれど、内田かずひろの「ロダンのココロ」は、老犬から見た人間生活を細やかな想像力で描いた傑作だと思う。毎度ロダンが悟ったように理解するのだけど、そのズレっぷりがキュートで、でもたしかに犬だったらそう思うかもな、と納得させられてしまうような着眼の素晴らしさに溢れている。


ロダンのココロロダンのココロ
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よつばと! (1) (電撃コミックス)よつばと! (1) (電撃コミックス)
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追記エントリ:「ジブリ創作のヒミツとキツすぎる葛藤400日」
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-entry-55.html
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