しかし反撃もここまで

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『ロスト・ケア』ネタバレ感想

Category: 書評  
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前回『ロスト・ケア』について書かせて頂いたのですが、発売から一ヶ月以上たちましたので、ネタバレ感想をちょこっと。


ロスト・ケアロスト・ケア
(2013/02/16)
葉真中 顕(はまなか・ あき)

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(一応名前は伏せてますが)以下ネタバレ込みなので未読の人は注意!

































































…これくらい改行すれば良いんですかね。

さて、この物語の犯人はあの人なんですけど、一応「こいつが犯人だろ」とミスリードされる人がいます。
終盤にその人と真犯人が鉢合わせる場面で「ああそういうことだったのか」と真相がわかるのですが、それが単なるミスリードのため、つじつま合わせのための行動ではなく「なぜ彼はそうしたのか」を考えるとなかなか悲しい。

「えらそうなこと、よさげなことを言っていたのにいざとなるとこれか」とも言えるだろうし、「善良で責任感がある彼のような人をも追い込んでしまう社会よ…!」とも言えるでしょうが、いずれにしろ彼の存在は、地味ながらも大友や佐久間ら他の登場人物と同様に、読後も悶々と嫌な思いを残してくるのでまったく困ったものです。

ネタバレで言いたかったのはとりあえず以上です。
ご清聴ありがとうございました。


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テーマ : 本の紹介    ジャンル : 本・雑誌

【書評】葉真中顕『ロスト・ケア』

Category: 書評  
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私たちはテレビやネットといったメディアを通じて、日々様々なニュースに接している。

派遣、ブラック企業、就職氷河期、格差、自己啓発、検察・警察制度、検視、累犯、冤罪、司法、政策、メディア、震災、原発、貧困、生活保護、シングルマザー、うつ病、薬物依存、高齢化社会、過疎化、介護保険制度、ケアビジネス、尊厳死・安楽死。

これらの問題を扱ったニュースや記事を見ない日はない。
皆なんとなくそれらを理解しているつもりでいるし、不満や義憤やチャンスを感じて、なにか言及することもある。

「労働者を商品として扱う派遣は許せない」
「自己啓発とか言ってる連中はどうも気持ち悪い」
「努力してどこでも通用するスキルを身に付ければどんな時代でも生き抜ける」
「放射能と放射線の違いもわからない情弱な主婦が放射脳化しててワロタ」
「ナマポなんてもらうくらいなら氏ねよ社会のお荷物が」
「検察は保身と功名心からいくらでも勝手なストーリーを作り上げる」
「うつ病は甘え。結婚しないのも孤独死も自己責任」
「地方の過疎化問題は人口を集積したほうが効率が良い」
「これからは高齢化社会なのだからケアビジネスや老人向け市場が拡大する」


反射的な発言にしろ、あるいは”冷静で客観的な”分析や発言だとしても、我々が日々テレビやツイッターなどで目にするこれらの「議論」にはどの程度意味があるのだろうか。
ニュースの第一報が報じられ、その印象でAを悪者にして叩き、しかし第二報ではどうやらBが真犯人らしいとなじり、途中そもそも冤罪かも知れないからと警察やメディアを批判し、すっかり忘れた頃に見かけたルポを読んで実はCが黒幕だと憤り、判決には「やっぱりな」としたり顔で言ってしまう「善意」。
そしてすっかり良いことをした気持ちになって「本当の問題」は先送りになってしまう。自分自身、そんな日々を送っている。

無論、誰にも知られず見過ごされ放置されるよりも、たとえ間違っていたとしても話題になること自体に意味がある場合も多い。ネットはオープンな分、仮に間違った言説が拡散すれば、その分その検証も手厚くなり、結果的に議論がより深まることも多いからだ。最初からすべてを網羅した言説や完全な回答などあり得ないのだから、バカなことをやって、突っ込まれて、失敗して、謝って、検証して、修正して、を繰り返して、少しずつマシにしていくしかない。



ロスト・ケアロスト・ケア
(2013/02/16)
葉真中 顕(はまなか・ あき)

商品詳細を見る




葉真中顕『ロスト・ケア』を読んだ。
このエントリの冒頭で挙げた問題の数々は、実はすべてこの本で扱っているテーマだ。

とは言っても、著者は恐らく「キャッチーだから」これらの話題を詰め込んだ訳ではない。
確かにこの小説は「最近よくある」介護医療の現場をテーマとしたミステリーだ。テーマは重いはずなのにとてもわかりやすく、構成やトリックも巧妙で面白い、優れたエンターテイメント作品だろう。
その上、現実の様々なニュースや人物、会社、本、記事が露骨なくらい容易に思い浮かぶような箇所がたくさんある。

しかしそれらは単なる借り物や記号ではない。
同時代の作家が今この時に、そこから何を参照しようとしているのか、何を提起したいのかが生々しく伝わってくる。巻末に記載されている参考資料は参考資料としてだけではなく、「物語の外」=現実社会にある様々な問題へ我々を紐付ける機能も果たしている。
書きたいテーマを誠実に書いた結果、小説の中に出来上がった「架空の社会」に現実と同じく多くの問題が付随してきた。だからできるだけ多くの問題を、様々な立場を、同じように丁寧に描いたのではないだろうか。

そしてそれらを物語のために都合よく利用したり、うっかり印象論で断罪したり、わかりやすい「敵」を作ることを極力排除しようとしている。そうして分かった気になったり、溜飲を下げて終わることを恐れている、と言ってもいい。様々な立場の登場人物をフェアに描くことに最大限の慎重さを払っている。
フェアに描くとはどういうことか。糾弾するのではなく、それぞれの事情、背景、論理、信条、善意や悪意、強さと弱さを描くということ。そしてその忍耐強いフェアさゆえに、読み手は誰かのせいにして逃げることができず、現代社会が抱えている構造的な問題を、これまでの自分の言動を、そしてこれから起こるだろうことを、直視せざるを得なくなる。(*1)

読み終えて、自分はどうすれば良いんだろう、と思った。
相変わらずニュースに無責任なツッコミを入れ、テキトウに批評をした気になり、たいした行動もしない。面倒には関わりたくない、と正直思っている。他人に「良い人」と思われるための言動は小器用に理解しているから、そういう煙幕を張っておいて、こっそり自分だけ「安全地帯」に逃げられればそれで良いと思っている(このエントリももちろんその一環で書いている)。

それでも、最初から万能薬などないのだし、超人やカリスマが解決すれば済む問題でもない。
「ずっと前からわかっていたこと」なのに「誰も動かない/動けない」ことに対して、問題を指摘して、話題を喚起して、想像して、共感して、共有して、拙くてもバカなことをやって、突っ込まれて、失敗して、謝って、検証して、修正して、を繰り返しているうちに、何か少しでもマシなこと、役に立つことが出来るかも知れない。そう思って生きていくことにする。



****************************************


著者の葉真中顕(はまなか あき)さんは、以前別名義で書かれていたブログが大人気だった有名なブロガーさん(本職はライター)だったので、ご存知の方も多いかと思います。
自分もその愛読者の一人だったのですが、当時から教育問題や政治といった真面目なテーマはもちろん、将棋や映画、いやTENGAやプリキュアを語る時ですら!、一貫してこの「フェアさ」というものを大事にされていたように思います。それは多様な立場を想定するということだし(TENGAのエントリはふざけているようで、実際はジェンダーや思春期の実存、障がい者の性といった問題まで配慮していた)、「想像力の欠如」を憎むということだし(そう言えば『ロスト・ケア』内で一箇所この言葉が使われる場面はドスが効いていた)、データや研究をしっかりと尊重して印象論や感傷に流されない、ということに表れていたと思います。

だから「ブログをやったら人気が出たので本を書いて作家デビュー!」というネットすごろくやノマドサバイブ的な話ではなく(いや実際飯は食っていかなきゃなのは間違いないけれど)、元々社会に対していろいろな思いがあって、んでたまたま文学が好きで、物語の力を信じていていたから、それを託して小説を書いたんだろうな、と自分は理解しています。
まあそんなことよりシンプルに、自分の人生に「葉真中顕」という名のお気に入りの作家がひとり増えた、ということをとても嬉しく思います。


いやあんまりすげーわーさすがだわーとか勝手に持ち上げて下ネタを言いづらい雰囲気を作られても本人は困るだろうし、勝手な妄想を投影されすぎて作品の幅を狭めてしまうのもアレなので、次回作はぜひコミケ会場で起こるサークル同士の対立が凄惨な殺人へと発展するもエロジャンル別売上の推移というデータをきっかけに暴かれた犯人はヤス×ボスのBL作家だった的などうしようもないミステリーを全力で書いて頂きたいところです。ありがとうございました。


(*1)たとえば、本書は各登場人物ごとに細かく章立てられていて、それぞれの視点が行ったり来たりする。その際、Aが主役のパートでAが語るCと、BのパートでBが語るCはまるで違う。視点が違うから当然だ。しかしそれだけでなく、Aのパートの三人称で語られるCと、Bのパートの三人称でわざわざ描写され直すCも微妙に違ったりする。これは単にミステリーにおける叙述の問題ではなく、三人称、つまり”冷静で客観的”な分析、メタ視点、大局視、達観と呼ばれるものも、AやBの主観の上の客観なのだということを象徴してもいる、のかも




塩狩峠 (新潮文庫)塩狩峠 (新潮文庫)
(1973/05/29)
三浦 綾子

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「愛」なき国 介護の人材が逃げていく「愛」なき国 介護の人材が逃げていく
(2008/07/31)
NHKスペシャル取材班、佐々木 とく子 他

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累犯障害者 (新潮文庫)累犯障害者 (新潮文庫)
(2009/03/30)
山本 譲司

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僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 (幻冬舎新書)僕らはいつまで「ダメ出し社会」を続けるのか 絶望から抜け出す「ポジ出し」の思想 (幻冬舎新書)
(2012/11/30)
荻上 チキ

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ペコロスの母に会いに行くペコロスの母に会いに行く
(2012/06/30)
岡野 雄一

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※現実への紐付け、ということでいくつかリンクを。
【SYNODOS JOURNAL】社会を構成する ―― 医療・介護・財政 土居丈朗×大野更紗×大西連
http://synodos.livedoor.biz/archives/2024415.html
【SYNODOS JOURNAL】制度改正論議にみる介護保険制度の欠陥 本間清文
http://synodos.livedoor.biz/archives/1886535.html
【累犯を断つ】(1)刑務所でしか暮らせない
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/feature/article5/20120604/20120604_0001.shtml
コムスン不正問題メモ: 極東ブログ
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2007/06/post_de05.html


※ネタバレでの一言はこちら。
『ロスト・ケア』ネタバレ感想
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-entry-181.html
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テーマ : オススメの本の紹介    ジャンル : 本・雑誌

坂口安吾『一家言を排す』を読む(その2)

Category: 書評  
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「坂口安吾『一家言を排す』を読む(その1)」
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-entry-175.html


さて、安吾は

「我々の理知的努力と訓練により、また人間性の深部に誠実な省察を行ふことにより、早晩我々の世界からかゝる動物的な非論理性を抹殺し、肉体的な論理によつて正当な論理を瞞着し圧倒することの内容の空虚を正確に認識しなければ、人間の真実の知的発展は行はれ得ない。
過去において社会制度は幾度か変遷した。然し人間は殆ど変りはしなかつた。漸く変りかけてゐるのである。」


という、作家として、一人の人間として大変誠実な言葉で締めくくっていますが、しかしこの言葉は今これを読む自分には若干の違和感がなくもない。
現在の「まともな」(しかはん主観)知識人であれば、「我々の理知的努力と訓練により」などというそれこそ「肉体的な論理」を振りかざすことの危険性を察知し、まずは統計や調査によって現状を正しく認識しよう、論理的思考トレーニングや報道・科学リテラシーなどについての教育とその研究に予算を配分しよう、メディアに関するルール作りをしよう、社会心理学や行動経済学などの理論を応用しよう、などと言うことが多いはず。
そうでないとすぐに「お主は理知的努力が足りぬ!もっと自分を追い詰めろ!」という精神論や、「学問的な訓練を積んでないDQNやヤンキーは話になんねーよな!」という排除になってしまいがちだから。


しかし時代によらず、文学者や思想家がそれを言う必要があるのかとなると、なかなか難しいところです。
文学者の紡ぐ物語が、論理的思考や統計や数字やエビデンスを無視してただ安い感傷に流れるとしたら、それは最悪なだけでなく、社会に悪影響を及ぼすものになる(たとえば原発や遺伝子や疫学や人口学について間違った知識に基づいて書かれた小説を想像してもらいたい)。
しかしそういった他分野の進歩や蓄積を真摯に受け止めた上で、それでもなお残る愛憎、善悪、正義、信仰などといった心の問題について(いやそれさえも脳科学や生物学の範疇だよとも言えるが)語る意義はまだまだ十分あるだろうし、「数字」より「物語」の方が圧倒的に強い場面は多々ある。

物語はある種の魔法だ。それを生み出す作家やメディアは魔法使いだ。人を惹きつけ、その気にさせ、不安に陥れ、安らぎを感じさせ、義憤を引き起こし、絶望も希望も与える。
間違った知識や独りよがりな倫理観を元に嵐を呼び寄せる「黒い魔法使い」はこの世から決していなくならない。
それに対抗するには物理砲撃(数字や研究)だけでなく、魔法科以外の学科もちゃんと勉強し、広くみんなの声に耳を傾け、少しずつでもこの世界を良くしようとする意思を持った「白い魔法使い」の存在が必要だ。

きっとこれからの文学というのは、そういう真摯さや誠実さの上に成立するんじゃないか、と思う。
魔法は扱いが難しく危険なのは当たり前。でも、魔法じゃなければ防げない魔法攻撃もあるし、魔法の良い使い方ってのもきっとあるのだから。



統計学が最強の学問である統計学が最強の学問である
(2013/01/25)
西内 啓

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もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)もうダマされないための「科学」講義 (光文社新書)
(2011/09/16)
菊池 誠、松永 和紀 他

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ロスト・ケアロスト・ケア
(2013/02/16)
葉真中 顕(はまなか・ あき)

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坂口安吾『一家言を排す』を読む(その1)

Category: 書評  
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休日暇だったのでiPhoneの青空文庫アプリでたまたまダウンロードした坂口安吾『一家言を排す』を読んだら面白かった。
短文なのでみなさんも是非どうぞ。


青空文庫:坂口安吾『一家言を排す』
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42988_21272.html


「私は一家言といふものを好まない。元来一家言は論理性の欠如をその特質とする。即ち人柄とか社会的地位の優位を利用して正当な論理を圧倒し、これを逆にしていへば人柄や地位の優位に論理の役目を果させるのである。」

と、いきなり今のメディア、テレビのニュース番組からワイドショー、新聞、ブログ、Twitterでのアレやコレを想起させるような鼻息の荒い文章で始まります。
まあ今風に言えば、人気があるとか面白いとか経歴がすごいとか私のフォロワー数は何万です的な人が偉そうに言ってるけど、それ全然根拠ないよ、うまいこと言ってるだけじゃん、印象論だろ、データ出せよコラ、ということでしょう。

で、槍玉に挙がっているのが菊池寛の『話の屑篭』という文章。

「菊池寛の「話の屑籠」は現今文壇における一家言の代表的なものであつて、一部識者の好評を得てゐることは、我国の教養がその真実の論理的訓練に不足してゐることを明かにしてゐるにすぎない。「話の屑籠」には論理性がないのである。のみならずその非論理性を利用して逆に読者の論理性を圧倒しねぢふせ、却つて自説を特殊の論理として通用せしめやうとする、恰も政治家がその性格的非論理性によつて人を圧倒する術を言論の上に及ぼしたかの感がある。」

「あんなの評価する奴がいるってことはバカが多い証拠!」とクソミソです。
この「話の屑籠」という文章を読んだことがなかったのですが、以下のサイトで全文読めました。

「話の屑籠(菊池寛アーカイブ)」
http://www.honya.co.jp/contents/archive/kkikuchi/hanashi/


「月刊文藝春秋」に掲載されていたようですが、見て思わず吹いてしまった。
短文随筆を連ねるという形式で、どう見てもツイッターです。

安吾の『一家言を排す』の掲載日が
「新潟新聞 第一九九六一号〈夕刊〉」1936(昭和11)年11月20日付(19日発行)
とあるので、試しにその直前の同年1月号から11月号までの菊池寛の「ツイート」を上記サイトより抜粋してみます(ちなみに同年は二・二六事件が起きた年です)。


「二月二十六日の事件は、大震災と同じくらいのショックを受けた。実害は、大震災の時の方がずっと大きかったが、しかし今度の方が人変であるだけに、不安が永続きするわけである。こういう事件の結果、言論文章などがいよいよ自由を束縛されやしないかという不安が、いちばん嫌だった。」

「支那は、懐古主義で、理想を堯舜の世に置いている。それは、現実の世の中が不愉快で将来に希望を見出すことができないためであろう。この頃になって、我々に明治時代が何となく懐かしく思われるのは、何のためであろうか。」

「以前にも、一度書いたことがある。昔は、写真屋が十分商売になった。しかし、今は素人がみんなライカなどを持っているので、写真屋はなかなか商売にはならなくなった。現在の純文学も、それに似ている。ちょっとした短篇をかける人が無数にいるのである。こうたくさんいては自然発表の機会も少なくなり、天分の多少優れた人でも、いいものを書く機会が回って来ないことになるだろうと思う。従って世間の注意を惹く機会も少なくなるわけである。文壇は、自発的に、作家の数を整理する必要があるのではないかとさえ思う。」

「先月号の本誌新聞月評の中に「金集めの偉人正力読売氏」と題して、正力氏について書いてあることは、少し悪口に過ぎていると思った。ことに、警視庁にいた時資本家の裏面を知っているのを利用して金を出させているなどの非難は、誣(し)いるもはなはだしい。同氏が、警視庁の官吏であったのは、十数年も昔である。その時知った材料などが、今頃何の役に立つだろうか。これは、同氏が新聞をやり始めた頃の悪口が長く尾を引いているので、同氏に対しては気の毒である。同氏に、資本家の後援者がありとすれば、同氏の男性的な活躍に対する応援以外の何ものでもないと自分は思っている。」

「軍備の拡充と増税だけが、現内閣の使命なのだろうか。国民生活の不安を除去するという組閣当時の声明は、どうなったのであろうか。増税による増収の少なくとも半分は、国民生活苦の救済に振り向けるのでなければ、国民は不満を感ずるであろう。」

「大本教やなにがし教でも、あんなに流行するのであるから、高潔無垢な大人格者が、新宗教を興したら、かなり流行するのではないだろうかと思う。真言宗の教養とその加持祈祷を少し現代化すれば、立派な新宗教を興し得るのではないかと思う。それにつけても、仏教界に、人無きを痛嘆する。」

「論語に「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思うて学ばざれば則ち殆(あやう)し」と。思うて学ばざる者は国家をも殆くすることことがある。」


いやあ、面白い。もちろん自分にはその文脈やら話の精度はよくわからないのですが、当時の世相やら菊池の考えやらが生々しく伝わってきます。
もしこれがツイートで流れてきたら山ほどRTやふぁぼや同意反論リプをされた上にいちいち炎上してその様子がTogetterでまとめられ、「【チチカエレ】菊池寛について語るスレ【ハナメガネ】」とかいうクソスレが立ち、一部ネットウォッチャーがヤレヤレ(ダブルミーニング)的なクソエントリを立て、という流れがもう止めてくれってくらい容易に想像できて大変心苦しいところです。このエントリのタイトルも急遽「我らが坂口安吾先生が菊池寛御大を盛大にディスった件について」にしようかと思いましたがグッと堪えました。


安吾が具体的にどの言葉にムカついたのかはわかりませんし、それが妥当なものだったのかどうかの判断は自分にはできません。まあたぶん論語の「思而不学則殆」の引用には「お前がな!」と即座に罵倒リプライを飛ばしたい気持ちだったのでしょう。
しかし当時安吾が三十で菊池寛四十八という世代や立場の差、不況に苦しみ、戦争の足音が忍び寄りつつある時代背景を考えると、論壇プロレスというよりは、もっと切実なものだったのかも知れません。

それに冒頭で触れたように、何の根拠も知識もなくうっかり「一家言」を持つことの危なっかしさ、不誠実さは、SNS全盛の今だからこそより切実な問題になっている、とも言えます。
安吾の引用だけで秒殺できる「論客」というのは結構いるんじゃないでしょうか。自戒を込めて。
(こういう話題は「自戒を込めて」で終わらせるといろいろとスムーズ、という様式美に従いたいと思います)。


以上、とりあえずここまで。話の方向が変わるので続きは以下のエントリで。

坂口安吾『一家言を排す』を読む(その2)
http://shikahan.blog78.fc2.com/blog-entry-176.html



堕落論 (新潮文庫)堕落論 (新潮文庫)
(2000/05/30)
坂口 安吾

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恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇 (岩波文庫)恩讐の彼方に・忠直卿行状記 他八篇 (岩波文庫)
(1970/12)
菊池 寛

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「人生解毒波止場」を再読して 

Category: 書評  
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関連エントリ:
感じるな、考えるんだ、その果てに感じろ
「町山智浩帰国トークライブ」映画評論家を名乗ることの覚悟、素人としての節度

根本敬「人生解毒波止場」の文庫版が出版されたので購入して再読した。


人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)人生解毒波止場 (幻冬舎文庫)
(2010/12)
根本 敬

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話題になっている町山智浩の解説で明かされる根本敬の覚悟は、真冬の因果海峡を褌一丁で渡り切るような、軽々にすげえと驚けない、静かに重いものだった。こういう生き方もあるのか。

「町山智浩帰国トークライブ」で町山氏が、批評というのはまずは客観的事実を丁寧に積み重ねていく作業だと主張していたが、そう語る彼だからこそ、根本敬の仕事を評価する言葉に意義がある。
 

ゴミを集める人たちは英語でホーダーズと呼ばれ、強迫神経症の一種だと言われている。しかし、そんな精神医学用語よりもブーツィの言葉は優しく悲しい。


これは、「安易に感じず、必死で考え、その果てに感じた」者だけが書き得る文章だ。
(そういえば、表層批評とかテキスト論というのも、本来そういうことだった気もするのだが。)


それにしても、例の電波喫茶の話と根本敬のあとがきを読んで、ああ、俺は電波喫茶のママを論破しようとして「お前は黙ってろ!」と天に言われるA氏であり、混沌に目鼻を付けようとする輩だな、と思った。
なんか昔読んだ時も同じようなことを思った気がする。
「でも、やるんだよ」とは、俺にはまだまだ言えない。
「でも、しょうがないよ」ばかりだな。まあそういう役割もある。ならば無粋承知でそういう立場で考えてみる。



世間の常識とは違うもの、価値がないと思われ、馬鹿にされているもの、狂っていると思われているものに光をあてる根本敬の仕事は、自分のように傍で見ている者にとっては面白おかしく、やがて悲しい。
でも、正直それがどういうことなのか、わからなくもある。
鈍感で乱暴な世論とか、画一化、無菌化される世の中に対する反抗が必要なのはわかる。
でも、電波喫茶を守るのは、それが今現在の社会によって排除されているからであって、もし何かのきっかけで(下手したら自分のせいで)電波陰謀論が社会の主流になり、まっとうな学者がリンチされる世の中になったら根本敬はどう行動するのか。
そんな外的要因や評価とは無関係に、自分を貫く人に興味を示すのか、それともそんな”狂った”社会に唾を吐いて、迫害される学者を守ることになるのか。
そういった価値観の大きな変換というのは、歴史を見れば案外あっさり起こりうることだ。

浅草キッドの「お笑い男の星座」とか、吉田豪の仕事を、傍観者として楽しみつつも、その無邪気さにちょっと嫌な気持ちもしていた。
石原慎太郎や猪木はさぞ面白い人だろう。
でも、鼻息荒く「我が闘争」を書き上げたヒトラーもさぞ面白い人物だったろう。
うちの親父も傍目には相当面白い人物だった。でも、俺にとってはすべてを破壊するモンスターでもあった。
情報を汲み上げる段階では個々人が政治的判断、善悪の判断はすべきでなく、ただ埋没させずに拾い上げ、多様性を確保し、判断は世に任す、という役目、使命を果たせばいいのか。
その責任は誰が負うのか。もしくは誰も負うべきではないのか。
根本敬の覚悟は、その責任を負う、ということなのか。



【追記:2011.2.8】
TBSラジオ「キラ☆キラ」2011.1.28放送分のオープニングで水道橋博士がキラ☆キラ新年会での神足裕司いじりの件を話していた。

2011.1.13放送の吉田豪のコラムで神足裕司が取り上げられたことで、神足裕司のキャラが強烈に立ち、そこに博士やピエール瀧が絡む一連の流れは、芸人としては素晴らしい仕事だと思う。
もし自分が神足裕司を語るとしたら、コラムや連載のダメな点を散々あげつらって終わり、という「内容的には正しいけどクソつまらない」ことになるだろう。
それをここまでいじり倒してネタに出来るんだから、その腕とプロ意識はすごい。

でも。
こういうのは、言ってみれば「神足裕司」というキャラ、虚像を勝手に作って面白がっているに過ぎない。
プロの芸人たちがわかった上でやっている高度な遊び、キャラ化による見立てだ。
実際は「400戦無敗」でも、「オナニーでは誰にも負けない」*1 人間でも、全然ないんだから(この点は神足裕司自身も非常に自覚的だったから、彼を責めるべき話ではない)。
平たく言えばお約束の「プロレスごっこ」をしているだけ、とも言える。

それをつまらない正論でキーキーと文句を言う無粋さは十分承知しているけれど、でも、こういうのは無邪気な集団心理の誘発のようでもある。
センスある人たちが「ネタ」として遊んでいることが拡散すると、その文脈や背後関係など読まずに、あっという間に「ベタ」になってしまう恐ろしさは、ネットが普及したこの十年でみんなイヤというほど知っているはずだ。
「絶対に許さない」「非処女は中古」「また大阪か」「※ただしイケメンに限る」「”信頼できる”男」みたいなネットスラングだって、最初は「わかってる」人たちが敢えて価値観を逆転させたり、視点の切り替えや極論の提示をするためにやった「ネタ」だったのだろうけれど、これを額面通り「ベタ」に信じてしまう人が出てきてしまうように。

あるツイートを、面白いからと拡散しておいて、それがガセだと分かって実害が出ても、その騒ぎすらまた拡散して面白がる、という自由が確かにある。でも、その責任は、必ず誰かが負わなくてはならない。
もちろん拡散を規制したり、やめるべきだとは言わないけれど、それに加わってしまった場合、自分はどうするだろう。
そういう当事者性、覚悟が吉田豪にはあるのかはわからない。
もちろん当事者性を敢えて持たず、常に一定の距離を保ち続ける苦労や価値というのも当然あるから「吉田豪は無責任!」という批判をしたいんじゃない。
でも、根本敬の覚悟は、俺はその責任から逃げない、ということなんじゃないだろうか。


*1:真のオナニーチャンピオン。罪山さんの絶妙なツッコミと校正でクソ笑える上に、仕事とは何かを考える上で勇気をもらえる名インタビュー。
オレの邪悪なメモ【オナニーの世界チャンピオン、大いに語る! 株式会社TENGA取締役・佐藤“トンガリ”雅信氏インタビュー】
http://d.hatena.ne.jp/tsumiyama/20110127/p1

【2011.2.21】
なんて書いたそばから、吉田豪が絡まれる事件が発生。
「QJ吉田豪氏による唐沢俊一氏へのインタビューを巡って藤岡真氏と伊藤剛氏のやりとり」
http://togetter.com/li/102281

藤岡氏は、まさに上で書いたように「無責任だ!」と因縁をつけてしまっている。
気持ちはわかるが完全な八つ当たりだし、自分の主張ばかりして吉田豪が何を言っているのかまったく理解出来ていないところが残念なところだろう。
ただ、吉田豪は今後もこういった八つ当たりやらその他もろもろのトラブルは避けて通れないだろう。
「闇」と関わる仕事をしている以上、どんなに距離を置いても、自分も無傷ではいられない。
でもその時にこそ、彼の仕事が本当に面白くなってくるんだろうな。
取材者としても、取材対象者としても。


※ちなみに新年会の顛末について、宇多丸師匠と小島慶子が「プロレスめんどくせえ!」宣言をしていて、上記のような意味でいたく共感致しました。

【2011.3.7】
こんなリンクも貼っておこう。
・悪の元凶はメガネ王でもえがちゃんでもなく「支援者」だ(はてな増田)
http://anond.hatelabo.jp/20110306173818
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テーマ : 読書感想    ジャンル : 本・雑誌

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