しかし反撃もここまで

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感じるな、考えるんだ、その果てに感じろ

Category: ネタじゃなく  
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前回「感じるな、考えるんだ」というエントリを書いた。
タイトルは言うまでもなく、ブルース・リーの「考えるな、感じるんだ」という有名なセリフを反転させたもの。
ドラゴンに限らず、武術や剣術を極めれば心眼とか邪気眼によってすべてを見極められる!的なヤツはいつの時代でも子供に大人気だ。
それを真に受けた奴が、目をつぶってバッターボックスに入ったり、ケンカの途中に虚ろな瞳で変なポーズとったりしてバカ扱いされる、というのが王道パターンなわけだが。


こういう考え方の安易な乱用は慎みたいものですな、というのは、まあごもっともな意見だ。
なんとなく「感じる」ことでわかった気になったり得意げになることはせず、理屈で考えて、言語化して、練習して、勉強して、冷静で客観的になって、わかろうと努め、理性を失わないようにしよう。
うん、素晴らしい正論だ。エセ科学でもインチキ宗教でも秒殺してやるからかかってきやがれ!!


でも、最近そういう「合理的」な考えにやや偏りすぎていて、実はあんまり面白くない。
もちろん自分なんかは徹底して合理主義的、というわけではなく中途半端ではあるんだけど、とは言えインチキ臭くない「感性」ってなんだっけ?口に出しても恥ずかしくない「感動」ってなんだっけ?とたまに思う。
こういう話は一歩間違えると幼稚な感情論とか癒しとかスピリチュアル的な話になりそうでやりにくい。どんなに控えめにでも「理性より大切なモノがある」とか言っちゃうと、その瞬間に失われるものが確かにある。
天才的な物理学者や数学者が最後に感じるのは神の存在、なんて話もよくあるけど、まあそこまでの話でなくてもいい。ただ、どちらにも偏らない、うまい解釈の仕方や態度がないだろうか。ちょうどいい湯加減がわからん。

「オレ、実用書とか新書とかノンフィクションとか学術書は読むけど、小説は嫌いなんだよ。くだらん」
って人は、世の中に、特にビジネスマンにはかなり多い気がする。
自分もまあほぼその通りなんだけど、それを言うとマズい気がして、常に読む本の中の一冊はフィクションを入れるようにしている。
映画や漫画を多く手に取るのも、そこら辺でフィクション成分を補給しておきたい、てことなのかもしれない。
でも、小説や詩や漫画などの創作物を読むにしても、すぐにその構造とか背景とかテーマなどの「解説」を欲してしまう。専門家によってまとめられた要点を聞きたい。そんで手っ取り早くお手軽にお利口になった気になりたい。同時に、専門家の意見や解説を聞いて「答え合わせ」をしないと不安でもある。

映画でもそうだから町山智浩の本を面白いと思ったのだろう。

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絵画なら若桑みどりを読んでなるほどなあと思った。

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数年前から始まった子育てについては、三森ゆりかの本がとても興味深かった。

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音楽も、文学も、社会も、人間心理も、経済も、城巡りも、どんぐりに帽子をかぶせる仕事も、独りよがりにならず、専門家の知を学ぼうとするのはもちろん良いことだ。
「深いねえ」みたいな浅過ぎる感想を漏らすだけの人間にはなりたくないから、謙虚に勉強する姿勢は大切だよな。それは悪くない。

でも、省みるにもう少し自分自身で格闘してみてもいいんじゃないか。
まず解説を読んだり、効率よく知識を仕入れるところから入ったとしても、その先に進んで、それがどういうことなのか、少しは「感じる」のも悪くないはずだ。
たとえそれが効率が悪くて辛い、そして大概は無意味な作業だとしても。


去年(2009年)の正月だったか、NHKアーカイブスで、遠藤周作と河合隼雄の対談が放送されていた。
今調べてみたが、恐らくこれだろう。本放送は1985年だから25年前か。
http://archives.nhk.or.jp/chronicle/B10001200998510050130081/

この場でのふたりの対談を見ていて印象的だったのは、ほぼ遠藤が質問者、河合が回答者となっていたことだ。
うろ覚えだが、遠藤の愛とは、人間とは、などといった問いに対して、河合が心理学者としての見解を示す、というやりとりだったように記憶している。
文学者でキリシタンの遠藤、心理学者で教育者の河合。非常に象徴的だった。もちろん番組上の役割ということもあるだろうが、今見ると時代の変わり目だったように見える。

純文学が売れなくなり、身も蓋もないタイトルのハウツーや実用的な新書が売れるようになった。
小説は愛や命といった漠然としたテーマを掲げるだけじゃ弱くて、何を暗喩しているのかといった解説や、物語の構造や引用、パロディなどがより重視されるようになったと同時に、それらに無自覚ではいられなくなった(「要するにカプグラ症候群の話なんでしょ」とか、「行きて帰りし物語をやろうとして破綻してる」みたいなツッコミに無自覚ではいられなくなった、という意味で)。
学歴より資格、と言われるようになった(実際はどうかはともかく)。
使える/使えないという価値観がより重要になった。
人文知の怠慢な部分が科学の冷静さによって書き換えられるようになった。
ベタよりメタが重要になった。
地域や血縁のコミュニティが薄れた。
結婚式や葬式に金をかけないようになった。
たいがいのものは百均やユニクロで十分になった。
野球は根性論・先発完投よりデータ重視・投手分業が当たり前になった。
デパートが落ち込み、安価で多品種の小売店や専門店が中心になった。
良かれ悪しかれ、まあそういうことなのか。

でも、遠藤周作の小説が無意味で中身の薄いものになったわけじゃない。
結局両輪のバランスが大事で、どちらかの車輪だけ大きくしても、ちっとも前に進まず、同じところをグルグルと回るだけの馬鹿げた車になってしまうということなのだろう。クソ当たり前な話なんだけど。
認識と実感、想像力。愛情、幸福、高揚、歓喜、驚異、恐怖、孤独、憤怒、諦観、絶望、死。
本当はどれひとつよくわかってないけど、とりあえず肝に銘じておく。



関連エントリ:「人生解毒波止場」を再読して


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感じるな、考えるんだ

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庭に芝を張っている。
管理が大変だからやめた方がいい、と周りの幾人かにアドバイスされたが、小さな庭の芝刈りくらいたいしたことはないだろうと思って張った。

実際は、まあそれなりに大変だった。
春秋冬はさほど手間も掛からないのだが、夏場は勢い良く伸び過ぎてしまい、こまめに芝刈りをしないとあっという間に伸び放題になってしまう。
芝刈りは休日の炎天下、重い芝刈り機を使ってやらねばならない。
それはそれなりの重労働だ。

しかしながら、幸か不幸か「刈り込まれた綺麗な芝」というものに価値をおける程の教養も知識もないため、庭師が見たら泣くような状態になってもあまり気にならず、むしろその発育の良さに感心し、クッションの効いた芝の上で娘が飛び跳ねる様子を嬉しく見守っていた。
という訳で、この状態を「枯山水」ではなく「萌山水」と呼んで肯定することにした。
我が家の庭にはさざ波が押し寄せてくるのさ。

moesansui.jpg

と、怠慢のためのくだらない言い訳を考えて得意になっていたのだが、先日ついに刈り込む日が来た。
刈ってみたら、根元の方がだいぶ枯れていた。
伸び過ぎたために成長点が上に移動し、そこを刈ってしまう「軸刈り」という状態になってしまったらしい。
Image330.jpg

手入れは単に美の問題だけではなかったのだ。

本当は技術的、現実的、実務的、実用的な問題であるにもかかわらず、センスや美学、主義信条、思想、好き嫌いの問題だと思って行動する、というのは危険だな、という話。


******************************************


ところで以前、早朝の庭に魚の頭の骨が落ちていたことがあった。
Image286.jpg

ついにシチリアマフィアがオレを狙って動き始めたか!とビビってたら、カラスがやってきて隣の家の屋根に運んでいった。
恐らくは近所の飲食店か何かから出た生ごみのカマを持ってきたんだろう。
godfather horse head scene
「ゴッドファーザー」の有名な馬の首シーン。
起きぬけの馬の首とカマ、どっちも嫌だけどまあカマの方がマシか。


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逆張りだけが人生か

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自分が株取引をやっていたのは2003年から2007年頃だ。
日経平均で言えば\8,713(2003/01/06)から\17,225(2006/12/29)へと倍増した幸せな時期だったため、典型的なカモでクズ投資家の自分でも利益を出せた。
その後平均株価は一気に下降線を描くわけだが、幸いその惨事にも遭遇せずに済んだ。
これも危険を予知して資金を引き上げたわけではなく、たまたま個人的にも会社もキャッシュが必要な状態だったため引き上げただけで、まさに運だけで勝ち逃げしたようなものだ。

さて、当時自分の基本的な投資法は、いわゆる「逆張り」だった。
野村證券HPの証券用語解説集には
「相場が悪い時に買う、あるいは、相場が良い時に売ること。」
とある。まあ要するに、多勢とは逆のポジションを取り、安く買って高く売る、ということだ。
ちなみに対義語は「順張り」。

自分は別にどこか特定の企業を応援するつもりでもなければ何らかの主義信条を元に投資したわけではない。
有名投資家の必勝理論とやらに感化されて実践してみたわけでもない。
ただ単純に、小器用に立ちまわって小銭稼ぎしたかっただけだ。
だから「逆張り」という方法に別にこだわらなくても良かったはずだし、実際それ以外の方法で売り買いすることもあった。
「逆張り」は基本戦略であったけれど、ただの手法、ポジションに過ぎず、そこに思想はない。
ただし好き嫌いはあっただろう。
資金量や情報入手スピードの限界などから順張りしにくいという合理的な判断ももちろんあるが、それ以前に、どうも順張りというのは性に合わなかった。
悪く言えばその度胸がなかった、という事かもしれない。
上げ相場でみんなが注目している株に投資して、うまいこと利ざやを稼ぎ、勝ち逃げするよりは、皆が悲観している時に割安で拾ったり、まだ注目されていない割安な企業を狙う方が、ずっと「安全」で「容易」な気がした。


さて。
学校一の美人を応援し、取り巻きの一員となっておこぼれをもらう、またあわよくば彼氏になることを目指すより、地味で控えめで図書委員なメガネっ娘だけど実はダイヤの原石、って娘の方がオレは好きだ。

思春期には日本のオリコンにはほとんど興味がなかったけれど、英米のビルボードには詳しかったし、せっせと輸入盤などを漁ったもんだ。

みんなが絶賛している本、映画やドラマ、漫画にアニメなどには、まず批判的な態度で臨みがちだ。

これはおかしいと思うような言説が流行ったら批判してみるが、批判の声が盛り上がり過ぎると、今度は「いやいや待てよ。再評価してみようよ」とか言ってみたりする。

選挙権を持ってから十数年、棄権をしたことはなかったが、投票した候補が当選したことはほとんどなかった。
しかし、自分の支持政党があるわけではなく、また自分に利害のある政策や公約を精査するのではなく「恐らくこうなった方がバランスが取れていいだろう」といった相対的価値観で投票してしまっていることが多かった。

こういう態度は、天邪鬼や反権力・反体制、心情的な判官贔屓、ニヒリズム、アウトロー、斜に構える、反抗期、アンチイズムなどいろんな言葉で表現出来る。
第三者効果とかアナウンス効果と言ったメディア論で使われる言葉もある。
でもどうもしっくりこなかった。
天邪鬼と呼ぶにはピュアでなさ過ぎるし、反権力・反体制と呼ぶには理念がなさ過ぎる。
判官贔屓が理由というわけではないし、反抗期と呼ぶには温度が低すぎる。

しかし今、自分の人生を振り返ってみると、その行動原理を表す言葉は「逆張り」だったのでは、と思う。それも非常に無自覚に。
要するに、自分には主義信条や思想、志、主体性、意思などと言うものは実はほとんどなく、あるのは「損得勘定」と「ポジション」ばかりなのだ。



もちろん、客観性や批判精神を持つこと、大勢に流されないことはとても大切な事だ。
仮に条件反射的なポジショニングだったとしても、そういう態度は多くのことを自分に教えてくれたし、物事を見る目を養ってくれたと思う。
人と違うことをしたり、安易に迎合しないためには必要不可欠な態度とも言えるだろう。
それにもし自分が主体的に行動しなくても、何かを監視、批判する人間というのは、社会全体で見た場合には価値がある存在だろう。

しかし「逆張りをする」ということの真意は、要するにリスクヘッジのためなのだ。
誰もが認める美人にみんなの前で告白して玉砕するのは辛いよね。
誰もが知ってる流行歌より、マイナーな洋楽を語った方がショボいと思われにくいだろ。
月9見て泣いてると、どうもバカと思われるらしいからやめておこう。
民主党に投票して政権交代が実現したものの、そこで建設的な議論をするより問題点をたくさん挙げておいた方が、失政をした場合に揚げ足を取られなくていいだろう。
本当はブログで絶賛したい本も映画も主義主張もたくさんあるのに、「良い」ということによって発生する責任を負いたくないから、テキトウに斜に構えたな態度でいよう…。

偽善や欺瞞、嘘やごまかしに騙されない、というリスクヘッジもあるが、より重視していたのは、「自分が責任を負わない」ためのリスクヘッジなのだ。
それは、果たして正しい態度なのだろうか。
俺は自分自身の人生を生きているのだろうか。
単に「プレイヤーとそれ以外」という問題なのだろうか。
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