しかし反撃もここまで

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「町山智浩帰国トークライブ」 映画評論家を名乗ることの覚悟、素人としての節度と価値

Category: 映画  
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昨日(2010/7/28)USTREAMで放送された「町山智浩帰国トークライブ」が非常に面白かったのだが、同時にここ最近のエントリと重なる部分も多々あり、いろいろと身につまされて考えさせられた。

参考エントリ:
「ハートロッカーを巡る論争に思う」
「映画のアトラクション化の可能性」
「ライムスター『マニフェスト』がイカ酢」

「ウィークエンドシャッフル」2008/3/8放送分の以下ポッドキャストも合わせて聞くとよりわかりやすいかも。
「配信限定!放課後DA★話(3/8)【町山編】」
「映画批評レボリューション21」
「土曜日の実験室」(ゲスト:町山智浩)
宇多丸さんのビビリぶりが今聴くと泣けるぜ…。


「ロフトチャンネル」



町山氏が「インセプション」の解説を通じて語ったことの中で印象に残ったことをメモ。黒太字は本人発言要約、「→」以下はそこから自分が思い付いたことや過去エントリの引用など。ただしあくまで私的メモで、ちゃんと網羅もしてないしいわゆる「まとめ」にはしていません。
また「インセプション」自体の解説は敢えて割愛させて頂いてます。
その理由としては、偉そうですいませんが以下2点です。
1.「インセプション」の解説、評論それ自体が町山氏の「芸」の部分なので、安易に抜粋、まとめをしたくない(つーかバカが作ったまとめを読まないで本編聞け!)
2.映画を観てもいないくせに解説を聞いて「インセプションって、ラスト・タンゴ・イン・パリのさぁ(以下略」的な受け売り、知ったかぶりをすることを憎むので、それを助長したくない


明らかな誤解があればご指摘下さい。
また「ここはこう意味じゃね?」とか「この部分を理解するにはこの本がオススメ」みたいなのもあればぜひお願いします。

・「2001年宇宙の旅」「素晴らしき哉、人生!」「地獄の黙示録」などについて解説

→ヤコペッティとソラリス以外は以下の本などですでに語られていることが多いのでそちらを。
 
映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇』まで (映画秘宝COLLECTION)
(2002/08)
町山 智浩

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・脚本などの資料に当たることも、インタビューもせずに印象だけで
 わかったようなことを語りすぎている弊害が大きすぎる。知識も愛情もなく、
 最低限のこともしない映画ライターなんていらないし商業的価値はない。
 豊富な知識や愛情を持っている一部ブロガーに淘汰される。

・解釈には4つのレイヤーがある(→まだ未整理?階層になってない)
 すぐに「自由な解釈」を主張するが、それ以前に読み違えしちゃまずいだろう。
 基本的に第三層(仮)までは解釈の自由はない!
 すべての人が言論をする状況=すべての言論、思想が無意味化する
 「自分の(幼稚な)意見」ばかりで教養が崩壊する

 →多様な解釈というのは、基本が出来た上での高度な話 
 何百年もかけて作ってきた基礎を理解した上での応用であって、基礎がなければ
 下手くそが描いた絵を「ピカソみたいで個性的で素晴らしい」というようなもの
 学校の国語のテストで「起きた出来事」や「筆者の言いたいこと」をひとつに決めるのは
 おかしい、解釈は多様だ、という文句をいう生徒が結構いたことを思い出す
 国語のテストではお前の意見など聞いてない、事実解釈は多様ではない、という
 論理的思考の基礎訓練が出来ていないことが問題
 学校の国語はセンスや感覚ではなく思考訓練だという認識の欠如のツケが
 回ってきているのかも

子どものための論理トレーニング・プリント子どものための論理トレーニング・プリント
(2005/01/25)
三森ゆりか

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「つくば言語技術教育研究所」の一連の取り組みも面白い
http://members.jcom.home.ne.jp/lait/


音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 (中公新書)
(2009/06)
岡田 暁生

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音楽は決してそれ自体で存在しているわけではなく、常に特定の歴史/社会から生み出され、そして特定の歴史/社会の中で聴かれる。どんなに自由に音楽を聴いているつもりでも、私たちは必ず何らかの文化文脈によって規定された聴き方をしている。そして「ある音楽が分からない」というケースの大半は、対象となる音楽とこちら側の「聴く枠」との食い違いに起因しているように思う。




・一般の人が幅広い映画的教養や背景すべてを網羅する必要はないし
 便実的に無理。それを代わりにやるのが映画評論家という仕事の価値で、自分が
 「映画評論家」と名乗るのはその重荷を背負う覚悟があるから


「ハートロッカーを巡る論争に思う」

そう、自分が批評家ごっこすをるのではなく、良い批評家の助けを得ながら
主観だけで映画を見れる、ということは、ある意味でとても贅沢なことなのだ。



・何世紀にもわたる集合知の積み重ねという最低限の事実と検証は踏まえようよ
 オンリーワンとか個性と言われた弊害で、偽評論家もブロガーも
 自分の意見ばかり言う
 素人はそれでいいかも知れないが、評論家は違う
 映画の良さを伝えたいという衝動が出発点なはずなのに
 映画をダシにして「自分を語りたい奴」が増えている


 →最近主流になっている「集合知」「オープンソース」的な発想への問題点提起でもある
 技術の世界では比較的有効だが(良いプログラムかどうかはわかりやすいし感情的反論も
 おきにくい)思想や文化の世界では集合知を集合愚が食い尽くしてしまう問題もある

 しかし、作り手や専門家の研究、一般的解釈を理解する努力をし、最大限の敬意を
 表した上で素人が述べる「個人的な感想」や、敢えて行う誤読やネタ化はOKではないか。
 確かに素人がえらそうに批評の真似事をしてもしょうがない。
 でも、素人が優れた評論家から解説してもらう真の意義は、それを受け売りで語る
 ためではなく、知識を増やすためでもなく、自分の人生を、社会をなんらかの形で変える
 ことにあるのではないか。
 それが素人の節度であり、素人の価値。

RHYMESTER「K.U.F.U.」 by宇多丸


最初はほんのちょっとしたチェンジだが未来にとっちゃ大事なチャレンジ
芸術・科学・経済に政治も ウン千年かけて拡げたレンジ
ナメたらアカン その蓄積を ナメたらアカン ウンチクや説教
ナメたらアカン そのセコい知恵こそ通じてんぜ 大いなる道へ


「グラン・トリノは俺の映画か?」

目の前で火事が起きた際に、火事だと叫ぶ役目も、バケツを運ぶ役目も、消火栓を探す役目も、その手際の良し悪しを評価する役目もあってしかるべきだし、社会全体のためには必要なことだろう。
でも、みんなでバケツをグルグルとリレーし、得意げにその速さと所作の巧みさを競って回し続け、いつまで経っても誰も水をかけず、飛び込みもせず、燃え盛る炎を前にして「消防署のサイレンの響きに感動した」とか「バケツの大きさはこの半分であるべき」などと優雅にも語り合い、その上逃げ出しすらしないのは笑えない状況だ。


「映画のアトラクション化の可能性」

「これは映画だ」と認識し、背後事情、歴史的文脈、メタ的構造を把握することが映画の「物語としての力」を失わせることになる場合もあるだろう。
それでもこういうことを無碍に否定したくないのは、結局「ゲーム体験」も「映画体験」も「ネット体験」も本当はなくてすべては「人生体験」だと考えたいからだ。そこだけで消化して終わり、というのではあまりにもったいない。
「如何に現実にフィードバックするか」みたいな話になると功利主義のようだが、「反戦映画を見て絶賛しておきながら、現実ではひどいレイシスト」みないなのは最低だし、しかしそれは程度の差こそあれ結構陥りがちな罠だ。


「にほんごであそぼ」についての提案

先天的な才能(または異常性)によって真に新しいものを作り出せるような人はごく限られており、一般的に人間は過去の集合知の蓄積を習得、消化することによって自分なりの解釈や表現をささやかに身に付けて行くものだろう。
「あなたらしさ」とか「ナンバーワンよりオンリーワン」とか「クリエイティブな職種」とか「衝撃のラスト5分!」みたいな浅はかなセリフは、せめて町の図書館の全蔵書を読破してから言え、という謙虚さと冷静さは肝に銘じて生きていきたい。


「ハートロッカーを巡る論争に思う」

 世の中には良い映画批評ブログもあるけれど、しかし結局「客観的に批評する」ことで例えば町山さんのようなプロに匹敵するのはまず物理的に不可能(最低限やるべきこととしては原作の理解、監督他製作者へのインタビュー、その国の文化や時代背景の理解、製作国の言語がネイティブで話せること、カメラや脚本などについての技術的知識などがある)で、そうなると批評は捨てて主観に引き寄せる感想の方が、(悪い意味での)印象批評や表層批評や読書感想文と言われようが、素人がやる分には結局誠実で真に迫るのではないだろうか。



・「インセプション」のテーマは無限後退の恐怖と罪
  「キャリー」
  「うる星やつらビューティフルドリーマー」
  「マトリックス」
  「トータル・リコール」(フィリップ・K・ディック)などなど
  そして「シベリア超特急」!!
 
・ロバート・フロストの詩
 解釈の自由はどこまで許されるのか
 一般的解釈まではきっちりやろうよ 
 (そしてそれはみんなが思っているよりずっと大変なものだよ)

・蓮實重彦の表層批評は従来の意味批評(テーマ主義)に対する反動として生まれた
 凡庸なテーマを論じても無意味 枠からの逸脱を観よ
 しかしその悪しきフォロアーが増長したのが悪いテキスト論、印象批評
 それが映画批評や文化の崩壊につながった


 →進化、権威化、堕落、反動、進化…を繰り返して前進するのは
 映画批評に限らず文明進歩の基本的メカニズム。
 今は町山メソッドに多くの人が共感しているが、彼のバッドフォロアーが
 生じることも、またそれに対するアンチが生まれることも彼は否定していない。


表層批評宣言 (ちくま文庫)表層批評宣言 (ちくま文庫)
(1985/12)
蓮實 重彦

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読むための理論―文学・思想・批評読むための理論―文学・思想・批評
(1991/06/15)
石原 千秋、木股 知史 他

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・テーマはたいてい凡庸なもの 凡庸な物語=近代(的自我)
 民話など近代以前の物語にはオチもテーマも意味もない(浦島太郎)
 それに思想が毒されている
 近代とは子どもが大人になり主体・主人公として運営していくもの
 (かつては王様や法王の言いなり)
 個々人が大人/主役にならなければならない社会的要請があったから、ハリウッドは
 個人の成長を描く それが凡庸なテーマばかりになってしまう理由でもある

 →寓話の悪徳 わかりやすい話からの想像力の欠如 偏見や思考停止
    
・1968年ヘイズコード撤廃によってニューシネマが始まる(学生運動などの影響も)
 凡庸なテーマからの逸脱 しかし蓮實はそれも批判
  自分の主張の垂れ流しにすぎなくて、美学がない 枠があってこその自由
 「スター・ウォーズ」「ロッキー」などによってその時代も終わる


・トーマス・マン 教養文学(ビルドゥングスロマン)
 みんなが大人になる必要があった(大人にならなければ死ぬから)
 ところが、近代以降では社会が豊かで安定したため、子供のままでも済むようになった


 →ポストモダン化、大きな物語の崩壊という社会背景

・「主役でない意識」neet問題 大人になってもしょうがない
 ボルヘス「円環の廃墟」自分が誰かの夢の登場人物だと気付く話
 唯我論は「自分以外はいないかも知れない」
 円環の廃墟は「自分すらいないかも知れない」
 自分は「お客さん」だから、教養も知識も映画も文化も政治も学ばなくていい、
 放っておいていい、関係ないと思ってしまう 
 現実感覚の希薄化と教養の崩壊
 教養とは、自分と他者との違いを理解すること


 →「逆張りだけが人生か」
 ポジショニングとリスクテイクだけで、主体性のない人間の無意味さ
 →「なにが本当にブラックなのか?」
 教養とは何なのか。単なる知識に頼ることの危険性

・「ハートロッカー」論争
 ストーリーが理解しづらいが子供→試練→大人 の三部構成
 キャスリン・ビグローの思想:狂気や戦争中毒と英雄行為は紙一重 しかし
 それこそが生きる実感を掴むということで否定出来ないもの


 →映画評論家としても名を成し始めている宇多丸師匠(子供)
             ↓ 
  プロの評論家である町山氏と対立、反発、挫折(試練)
             ↓
  評論家、表現者として一皮剥けた新宇多丸に成長!(大人)
  
 という建設的展開希望  

・イデオロギーと映画の評価は別
 一緒だとブルース・リーも硫黄島も評価できない=「テーマがいいから良い映画」という
 意味批評に戻ってしまう


 →この点やや整理不足な感もあり

・「マイレージ・マイライフ」「レスラー」「クレイジーハート」も同じ構造の映画
 「calling」(天職)、使命を知り、幼稚な「可能性」から卒業して大人になる、
 ということがテーマ 自由とは不自由を抱え込む上に成り立つ
 町山氏も、才能や自信があるからではなく、使命感で映画批評に取り組んでいる、という態度

 
 →calling(「神が」呼ぶ)の背景にはキリスト教的価値観、死生観がある
 「なりたい自分になる」「ホントの自分探し」「好きを仕事にする」的な現代日本の価値観は、それはそれで意義あるものかも知れないが、宗教や規範のない社会ならではの難しさも同時に内包してしまう。 
 前向きに「社会の中での自分の役目を知る」という発想は、現代日本ではほとんど共有されていない。それが日本の個人主義、自己責任論、政治アレルギーなどに繋がる?
 「五十而知天命」


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・しかし批評家ではなく表現者として自分をぶつけて語ることの価値もある
 それによってイデオロギーも超えられる
 宇多丸は特権的な表現者なので、自分をぶつけるべき
 観察者、研究者、お客さん、傍観者では意味が無い


 →「ハートロッカーを巡る論争に思う」

思うに宇多丸師匠は、幼稚な感想批評をしたのではもちろんなく、逆に感想ではない冷静な「批評」をしようと真摯に努力して、そしてその罠にはまったのだ。
まあ要するにこれだ。
「ヘタな知識持つだけ邪魔んなる 自分らしくありゃ即サマんなる」
(ザ・グレート・アマチュアリズム)
つまり、町山さんにしては結構気を遣っていて、厳しい言葉はなかったが、「ガチで映画の技術論や批評を宇多丸くんがしても無意味だし限界がある」こと、しかし「そうじゃない価値こそシネマハスラーにはある」ということを言いたかったのでは。



・「ハートロッカー」のテーマは「でもやるんだよ精神」
 「でもやるんだよ精神」が偉大なのは「成熟した大人」だから


 →ただの無茶やわがままや根性論や「夢をあきらめない!」ではなく、自分の限界も、絶望も、諦観も、悲しみもすべて織り込んだ上での覚悟だから価値がある
 

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・質問者1「宇多丸さんにツイッターで謝っていたのと齟齬がないか?」

 →愚かな質問!あのツイートは謝罪ではなく明らかに強烈な攻撃の一手!

・質問者2「キューブリックがわかりづらくしたのだから、多元的な見方は
      監督が意図したものだから良いのではないか?」
 一方的に答えを提示すると脊髄反射的に反発し受け入れない人が多い
 だが自分で気付いたことは信じやすい
 だからキューブリックは気付く人たちのためにナレーションを消した
 (=勝手な解釈を容認するためではない)


 →表現を効果的に伝えるための手法
  ウェブの炎上や世論誘導など、アンチを増やすもの、動員させるのも、ある種の層の人たちにとっては非常に自覚的でたやすいことなのかもしれない
  少なくとも大衆は自分で選んでいるようで、賛成反対どちらにせよ意外と安易にコントロールされているのかも
 
 
メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会 (集英社新書)
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・吉田豪の質問「映画ライターみたいなのが許せないなら何ならいいのか?」
 司会者の失態で意図が伝わらず

  
  →吉田豪としては「映画うんこばえ」みたいな名前を付けてもらいたかった、みたいな話。

・死む/死ぬを間違える

 →オレも未だに「む」と「ぬ」を書き間違えるよ!

・町山さんはTENGAに興味がない!

 →このへんにアラフィフの町山さんとの世代間ギャップを感じるな

・異論反論、論理矛盾指摘OK。これからブラッシュアップしていく

→で、結局これらの議論を踏まえた上で、表現者でも評論家でもない俺みたいな無知な凡人は何をすべきか/すべきでないか、を考えなきゃアカンのかも


【追記(2010.10.9)】
togetter(私家版)『マイレージ、マイライフ』の一解釈をめぐる映画評論家町山智浩(@TomoMachi)と@my_yoursの議論
http://togetter.com/li/57753
長いけど、これをおかずにどんぶり飯3杯くらいいけるな。
内容はもちろん、緊張感と敬意に溢れた良い議論の見本のようなやりとり(いきなりパンチから入っているけど、お互い間違いは認めて議論のための議論をしていない、という意味で)。
個人的には上のエントリで保留にしていた問題(主にビルドゥングスロマンとそれに変わる価値観の創造について)をいろいろと解決してくれたような気がする。
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なにが本当にブラックなのか?

Category: 経営  
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社員の青木くん(仮名)はなかなか優秀なエンジニアだ。
真面目で努力家、少なくとも指示されたことについてはしっかりとやってくれる安心感があるし、お客さん先にひとりで行ってもらっても技術面、人間性ともにまあ心配ない。

年齢も自分より2つ年下のほぼ同世代と言うこともあり、仕事の話はもちろん、休憩時間や飲みの席などでもよく話をする。
政治経済時事などの一般ニュースからアニメやゲーム、漫画、映画、一般書などの文化系ネタ、ギガジン、C-NET、スラドに載っているような技術系の話題、野球、ゴルフ、テニス、競馬、サッカーなどのスポーツ、2chやニコ動のネタ、そして地元や食べ物についてなど、話の内容は幅広い。
やや知識への過信があるものの、よく勉強をしているし、こちらが教えてもらうことも多い。

自分は立場上同僚というものがなく、またしばらく会社に同世代もいなかったため、会社で仕事の合間にこういった話ができることが嬉しくてたまらず、彼と話す機会が次第に増えていった。
単に個人的に楽しいというだけではなく、将来は会社の経営に携わる幹部としても期待していた。

しかし、彼の話に、次第に違和感を感じるようになってきた。
よくよく聞いてみると、幅広いと思われた彼の知見が、どうもほとんどコピペなのだ。
W杯の話も、選挙の話も、ipadの話も、テンガの話も、すべて2chまとめサイトあたりで仕入れてきた情報を、引用してるという断りもなく、知ったかぶって得意げにみんなに話してしまう。
そこに「自分で考えたアイデア」はないし、「自分で調べた事実」もないし、さらに困ったことに「ネタをネタだと理解していない」ことも多い。

で、新着ニュース的なものについてならそれでも別にかまわないが、コピペの盲信で育ってきてしまっているため、結果的にいわゆるネトウヨ的な思想傾向が(現時点では)かなり強い、という結構残念な現状になっている。
「ネトウヨ」なんていうレッテル貼りをするのは本意ではないけれど、本格的な保守本流とか右派というより、ネットで見ただけの知識に感化されすぎており、また思想に一貫性がない、ちゃんとした思想の勉強はしていない、論理が感情や自我の問題の影響下にある、という意味ではその言葉が適当なのだろう。

別に思想も宗教も政治団体も勝手にしてもらって結構だし個人の自由だ。付け焼刃の知識で語りたがる、という意味では自分も大差ない。
しかし、キム・ヨナがいかに汚い手段で金メダルと取ったかとか、庶民がマスゴミやミンスにいかに洗脳されているかを年中聞かされるのはさすがにしんどいし、職場の雰囲気も悪くなる。
堪りかねて時々論拠やソースを突っ込んだり、結論ではなく思考過程の問題を指摘したりしてみると、当然すぐに破綻してしまう。
残念なのは、普段はとても冷静で客観性のある彼も自分のことは客観的に見れず、その場を必死で取り繕い、他人の考えを受け入れる努力ができないことだ。

彼にとって、恐らくネットは偉大な存在だ。
東北の田舎町で育ち、ある時ネットで
「マスゴミのせいで隠されてきた事実を俺は知った!」「戦後民主主義教育に騙されてた!」
と思うような出来事があったのかも知れない。
それはある意味では非常に正しい。
しかし、もしこの世の中に事実が1000あるとしたら、きみは1を学校や新聞で習い、その後2と3をネットで知って得意になっているところだ。
確かに2,3は1に対して重要な反論だ。しかしより重要なのは、きみは1の他に2や3があることを知ったことだ。それは即ち、4や5や6や、その先の未知の事実があることを知ったこと、有り体に言えば「無知の知」を知ったことが何より重要なのだ。

直接でないにしろ、そう彼が気付くように言い続けているつもりだが、反論や批判を受け付けない強力なガード(それは幼いプライドで形作られている気がする)に守られ、少しも伝わっていないように見える。

学歴で言えば最底辺の普通高を卒業した彼が立派な技術者になるまでの道のりは、恐らく強烈な劣等感に支えられていたのだろう。
他人に馬鹿にされたくない、「知らない」「間違ってました」と言ったら負けだ、という気持ちがいつもヒシヒシと伝わってくる。だから知識を得る努力は惜しまない。
それは個人の成長の動機付けという意味では、必ずしも悪いものではないし、責められるものでもない。
でも、本当は知識なんていらないんだよ。自分が無知だ、ということだけ知ってれば。

教養がある、というのは自慢する雑学が山ほどある、ということではなく、自分とは違う他者の意見を理解する、想像する、ということだ。
それに過去はどうであれ、うちの会社では、きみは物知りな技術者としてみんなに敬意を払われているじゃないか。
だからもうそのガードを下ろしてくれてもいいんじゃないか…。


ただの知り合いならば、まあ放っておけって話だろう。
大切な友人なら、お互い徹底的に言いたいことを言い合えばいいし、結果絶交してもしょうがないかもしれない。
しかし、部下と上司として接する場合、特にうちのような小さい会社においてはなかなか難しい。
今彼に去られてしまっては業務上非常に困る。しかし人間的な成長を期待している大切な社員に、一体どう接すべきか、正直わからない。
もちろん「いかに奴の偏向思想を矯正すべきか」と、偏向したことを上から目線で思っているわけではない。
だが、議論の作法とか合理的思考のプロセスとか客観性とか自己批判精神とかはある程度普遍的なものだから、個人的な思想傾向はともかく、少なくともそういった前提を共有することは問題ないはずだ。(→「ゲンダイモンダイが面白い」というエントリでもちょっと触れた)
人間性とは別に、そういう態度は仕事をする上でも必須のものと言って良い、という言い訳もある(彼は仕事上でも間違いを認めない、失敗をごまかす、という傾向がある)。
ついでに言えば、例えばすでに同世代でこんな本を書いてる人もいるのに、今時サヨクの陰謀が云々、みたいな陳腐な議論を自慢気に開陳してる場合じゃないだろうに…という残念感も、まあ、ある。

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「そもそもそんな奴が幹部候補なのかよwどんだけ弱小企業www」と笑われればその通りだが、俺は彼の仕事ぶりは評価してるし、それに何より俺は彼が結構好きだ。たまに自分の頭、自分の言葉で語ったときは、口舌滑らかでなくとも、とても面白いし良いアイデアを出してくれる。もしその能力を、古びた鎖から解き放ってフルに活かせたら、どんなに楽しい議論が出来るだろう…。
だから出来るならば何とかしたい、と、傲慢かも知れないが思う。

*******************************

さて、ここで話が変わる。

餃子の王将のブラック研修、というのが一時話題になった。
テレビで放映された新人研修の様子がカルト宗教じみていてキモい!ブラック確定!という類の話で、その映像や反応を見たことのない人でも、大体どんな話か想像がつくだろうし各々意見もあるだろう。



その是非を言う前に、じゃあブラックじゃない、ホワイトな企業って一体なんだろう?
とりあえず違法行為の有無や待遇の良し悪しじゃなく、ここでは社員のモチベーション向上のために会社がとる態度、という話に絞って考えてみたい。

例えば「アットホームな職場です!」と銘打って、誕生日会をしたりお互いを褒め合う変な会を開いたり、どうでもいいことですぐに表彰したりするような会社はどうだろう。
残念ながらそれは、待遇が悪く定着率が低い企業が使う常套手段として昔から有名だ。
金銭やスキル、人間的な成長を会社が準備できなければ情で縛るしかないからだ。

また、人材輩出企業として名が知られ、学生の人気も高い某大企業では、社員が
「35才過ぎで会社にいると、なんで独立しないの?って言われちゃうんだよね」
と得意げにうそぶくそうな。独立心がありチャレンジ精神旺盛なデキるエリートサラリーマンってステキ!
実際社員の何%が独立し、そのうち何%が成功(定義は難しいが)するのかは知らないが、とりあえずこの企業は、そう社内外の人から思われることによって優秀な人材の確保が出来ると同時に、賃金が高くなる年齢になると勝手に一定数が辞めてくれる、つまり総人件費の抑制が出来るというメリットも得ている。
そしてそれは、恐らくは&驚くべきことに、ある程度会社側が意図しているものなのだ。


社員のモチベーション向上を指南したビジネス本は山のようにあり、人間関係もアメもムチもすべてマネージメント論で語られる範疇の領域だ。
あなたが尊敬するあの先輩の態度も、部長から言われたグッと来る言葉も、単に売れ筋の本から借用してあなたに始めて使ってみただけかも知れないのだ。

一方、王将のように体育会系・軍隊方式・宗教じみたやり方、というのは現代では非常に毛嫌いされる。
自分も学生の時は嫌悪していたし、経営者となった今もこういうやり方はまずやらない。
とは言え、社員を管理する立場になると、自社で取り入れないにせよこういった行為にある程度の合理性があることはわかるようになった。
職場や余興などで恥をかくのも、大人になるためのある種のイニシエーション(通過儀礼)であり、適度であれば本人の成長にとっても必要なものだと理解した。
牛角で「はい喜んで~!」とアルバイトが必ず掛け声を掛けるのも最初はギョッとしたが、チェーン店の末端社員に至るまでマニュアル化することで接客レベルや品質の底上げになるだろうことは想像が付くようになった。
創造的で自主性があるご立派な方々は「信じられない、耐え難い」と叫ぶだろうが、現実的にはこういうやり方の方が性にあっている、という人も、世の中にはたくさんいるだろう。それが過剰でないならば、管理され、レールを敷かれ、指示されるのは効率が良いし、とても楽なことだからだ。


つまりアットホームな職場も独立心旺盛な社員育成も体育会系企業も、どれが良いか悪いかとかいう単純な話ではなくて、当然それぞれ良い点と悪い点があり、簡単にはブラックとかホワイトなんてことは言えないのだ。
少なくとも王将の研修を見て「自分はその方法は取らずこうやって後輩に指導する」「会社として新人育成はこうすべき」という具体策も代案もなく、安易にブラックだと大騒ぎするような人は社会人としては些か幼稚だし(というか恐らく大半は学生だろうから、非難するのではなくて同情するが)、逆に「部下のやる気を引き出す魔法のことば!(vs自称クリエイティブ男子編)」みたいな安い本を読んだ薄っぺらいオヤジにガンガン釣られてしまう可能性がある、という自覚は持ったほうが良いだろう。
実際、企業案内なんてのはそんなテクニックの見本市みたいなもんだ。
ついでに言えば本田由紀氏が指摘した「やりがいの搾取」も、構造的には同じようなもんだろう。
世の中そんなに甘くはないんだよな。

ただし、じゃあ逃げ場がどこにもないじゃん→自宅警備員、とは考えず、ある程度自覚的、主体的に、場合によっては楽しんで前向きにロールプレイすることも出来る。
カルト教団に騙されたんじゃ身包みかっぱがれてケツ毛も残らないが、企業で鍛えられてスキルアップしたり金を稼ぐことの厳しさを身をもって知るのは(程度の問題はあるが)現金も含めて得るもの、残るものも大きいだろうし必ずしも悪いことじゃない。
また例えば城繁幸氏の言うように、現実の構造を理解した上でプラグマティックに雇用契約を履行しよう、というのもひとつの前向きな立場だろう。
「無駄な「ブラック会社」探しはもうやめよう」(J-CAST)

鈴木謙介氏が「思想地図〈vol.3〉」に寄稿している「設計される意欲」という文章も、安易な悪者探しをしないよう丁寧に気を遣いながら経営における意欲の設計の可能性について論じていて面白かった。

思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ (NHKブックス別巻)
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ホックシールド「管理される心」。感情労働とか表層演技とか深層演技とか。

管理される心―感情が商品になるとき管理される心―感情が商品になるとき
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ダニエル・ピンク「モチベーション3.0」 優秀な方々はこういう本を読めば良いんじゃないでしょうか。

モチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すかモチベーション3.0 持続する「やる気!」をいかに引き出すか
(2010/07/07)
ダニエル・ピンク

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*******************************

という訳で、話はうちの青木くんに戻る。

労働基準法上の思想信条の自由を持ち出すまでもなく、こういう話はあまり関わらずにスルーしておくのが正解だろう。
自分もここでいろいろと誠実に悩んでみせたが、実際はそこまで突っ込む気合も度胸も信念もない。
きっとそこそこテキトウにやるだろう。

いや、でも待てよ、会社の利益を考えたら、
「なるほど青木くん!知らなかったよ。さすがだねえ!オレも○○党に一票入れるよ!
 三国人こえーよ!ついでに美しい国日本の将来のために、仕事もバリバリ頑張ろう!」
ぐらい言った方が、少なくとも短期的には良いんじゃないか?
その上、青木くん自身は、理解があって価値観を共有できる社長のもと、やりがいのある仕事を任されている、という充実感を得られるに違いない。
彼は自己批判や客観視をしないのが問題?いやいや、自分の状況を認識し始めたら、こんな小さな会社に薄給でいる意味を考えて、とっとと出てっちゃうかも知れないから黙っとけ!

逆に自説(ただしコピペ)を気持ちよく語る彼に因果と相関の違いを説明したり、ネタをガチで受け止めていることの危険性を指摘したり、報道や統計についてのリテラシーを理解させたり、自分が他人からどう思われているか、自分の思考法が如何に幼稚か、世の中には自分より頭のいい奴がいくらでもいて、知らないことが無限にあるのだという当たり前のことを教える、言いかえれば自分と向き合う辛い作業をさせることは、相当困難でリスキーな作業だ。
リターンも短期的にはないかも知れないし、それどころか彼は、理解がない上にマスゴミに洗脳されてる愚鈍な社長のもとで、こんなきつい仕事やってられっかクソ野郎!と辞表を出すことになるに違いない。


社長として、会社としては、どちらを選べばブラックだろう。
青木くんにとっても、本当にブラックなのはどっちだろう。


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(2010/12/10)
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これからの「労働」の話をしよう 濱口桂一郎(シノドスジャーナル)
http://synodos.livedoor.biz/archives/1622283.html
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