しかし反撃もここまで

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『アナと雪の女王』雑感いろいろ

Category: 映画  
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『アナと雪の女王』について思ったことを雑然とメモ。
ネタバレあり。

・2D吹替、3D吹替と2度鑑賞。とても良かった。
『ミザリー』や『クロニクル』のように、溜め込んだ怒りと悲しみが爆発して皆殺しじゃー!ていうシーンは最高だけど、敵は環境や己のうちにあってそこから解き放たれてワシは自由じゃー!ていうシーンの方が教訓的だけどやはり胸に来る。
倒すべき敵がいるわけでもない抑圧からの解放というのはとても泣ける。
『アメリ』もゆるふわおしゃクソ映画のようでいて、親が死んでアメリが解き放たれるシーンは泣けた。そこが終わりじゃないけど、ようやくスタートが切れる。

・自分には幼い娘がふたりいて、ご多分に漏れずプリキュアを見たりお姫様物語を読んだりしているけれど、今後成長するにつれ、女性としてどういうロールモデルを親として提示したら良いかけっこう悩むことが多い。ディズニーのプリンセス新古典はそういうテーマに対するひとつの答えになるだろうな、という気はする。

・アナ(エリサ)もメリダもラプンツェルもアメリもおおかみこどもも、女性が主役の新成長物語は体制と敵対して突破したり理性や合理性で打ち勝ったりというのではなく、運命や社会を愛憎や葛藤の果てに受け入れた上で個人として自立する形が多い気がするな。そうならざるを得ないことや、それが現状を追認しかねないことへの批判もあろうが、しかし身の丈の哲学として、現実的な戦略として、あるいは新古典としてまずそれがしっかりと語られる価値というのはあるはずだし、必要ならそれを足場にそこからまた一歩進めばいい、ということなのかも。

・過去の作品や時代という文脈を経てのディズニー最新作かつプリンセスものなので、もちろんジェンダー論的な批評を受ける用意はあるだろうし、それに固執する人がいるのは当然だろう。
しかし一方で、エルサの「能力」は説明がなく先天的なものとして描かれるし、また全体のメッセージとして、あまりジェンダーだけに特化して語られることを回避しているように思える(作品的にも、政治的にも)。
つまりエルサの能力は性別、人種、性格、気質、才能、病気、障碍といった「個性」、そして誰にでも理不尽に訪れる葛藤や衝動を象徴するように作られている。

・その中から、いま自分に必要な「個性」をチョイスして己の生きづらさや悲しみを託すのは作品の消化の仕方としてとても正しいことだ。映画を見る、本を読むといった行為は極個人的なものだのだから。
でも同時に、その行為が他者の「個性」とどう関わるか、ちょっと思い巡らしても良いかも知れない。
たとえばエルサの個性が「エレファントマン」的なものだったとしたらどうだろう。
あるいは城に戻った後にエルサは「才能を捨て、社会に迎合し、スケート場を作るチンケな人生」を送ったのではなく、「触れるものすべてを燃やす子ども」を助けてあげる後日譚があったと想像してみるのは悪くないのではないか。

・ディズニーの目的は基本的には「古典=クラシック」を作ることだし、作家性よりもブランド性を重視している。
また、若い衝動やラディカルな青春映画を作るのではなく、「親子で楽しめれる」”保守的な”作品を作るのが基本。
だからディズニーに対してあまり無茶な要求をしても「それはよそでやるべき」だということかも知れない。
そもそも作品のテーマを万人に押し付けて洗脳しているわけではないし、古典や常識とは言え常に議論に晒されてアップデートを求められるからこそ今回は新しいプリンセスものの定番ができたわけで。
もちろんディズニーは決して反論しないでそういう意見も飲み込む度量の深さ=普遍的な価値を目指しているだろうけれど。
「ベタ」が更新されれば「常識」や「倫理」もアップデートされるし、ラディカルな思考もジャンプするための足場が高くなって射程が伸びる。そうやって少しずつ変革していけばそれでいいんじゃないでしょうか。

・ただ、ラストは”偉大なるベタな社会観”を一応是とするならばもっと盛り上げられたのに、それをしなかった。
映画の構造としては、

 1.前半の抑圧と悲哀
 2.中盤の解放と「Let It Go」による圧倒的なカタルシス
 3.「For The First Time In Forever (Reprise)」で自由の代償を痛感し挫折、後悔するエルサ
 4.終盤で「真実の愛」つまり普遍的な愛情、他者への理解、社会性やノブレス・オブリージュの獲得

という流れなので、たとえば公務に嫌気のさした王女様が自分の使命を悟って大人へと成長する『ローマの休日』や、己の中の衝動や欲望と折り合いをつける『ライフ・オブ・パイ』のような映画にできたはずだ。
しかし意図的かどうかはともかく、強く落とさないバランスに仕上がった。
まあラストをもっとわかりやすくするとか、終劇後の「Let it go」の歌詞を少し変えるとかいう手はあったかも知れないけれど、あまり説教臭くなってもアレだし、気持よく「Let it go」を歌っているところに「いや大人になれよ」と冷水浴びせるのはそれこそ大人げない気もするので、これで良かった気もする。

・ハンス王子については初見時にはやや唐突だなと感じたけれど、これを読んで納得した。
「ハンス王子の解釈 Red Notebook」

「「ハンスって誰?」とオラフは尋ねます。その答えは、人ではなく、キャラクターでもありません。彼は鏡なのです。それも、もしかしたら超自然的な鏡かもしれません――周りの人たちを、彼らの愛や恐れ、悪徳や美徳、人生や死を反映する鏡なのです。」

・一方、アナとクリストフが話すときは鏡ではなく本能/理性、本音/建前、個性/社会性のように相反する対(つい)の言動をしていた。
 
 納屋でアナがクリストフに同行をお願いする/王女として命令する
 アナにはハンス王子がいるんだ/それでいいのか(スヴェンとの腹話術)
 オラフの夏への憧れに「本気か?」/「いいじゃない」
 ラストシーンのキスをしない?/する?

というように。
このふたりは上記のふたつを(エルサとは違い)二項対立としては捉えていない。かと言ってふたりは最初から完璧なわけでもなく、悩んで、話して、トライして、エラーして、学んで、改善していこうとする。
アナがエルサを助けに氷の城に行き、説得するシーンは、アナはポジティブだけど打算的で鈍感に思える。だからエルサを追い詰め、パニックを起こしたエルサから氷の刃を心に受けてしまう。
これは確かに幼いミスだ(どちらにとっても)。だからこそ「鏡であるハンス」に同じように裏切られることになる。
しかしアナは学ぶ。そして成長する。さらにエルサにも大切なことを気付かせる。
アナは先天的な「善」や脳天気なポジティブさを体現しているプリンセスではなくて、現代的な行動力と合理性、現実的でプラグマティックな態度を示したキャラクターなのではないか。
だからこのふたりはもし恋人や夫婦になり、たとえ困難があったとしても、パートナーとしてうまくいきそうな予感がある。

・『Let It Go』ほか、劇中歌の翻訳はいろいろ苦労したと思うし日本語の限界もあるけれど、「私らしく」という言葉を(たぶん意識的に)避けたのはよかった。それを使ってしまうと一気に陳腐で浅はかさで独善的なってしまう。
また、「ありのままの」という歌詞は不適ではないかという意見を見たが、キャッチーで子どもでも歌いやすくてリップシンクもしてもちろん意味も…となるとあれ以上の訳を思いつかなかった。言いたいことはわかるけれど、そもそも日本語と英語は違うし、翻訳、吹替というのは良くも悪くもそういうものだし、現代は瞬時に原詞を確認できるのだから無問題ではないか。

・ただ、個人的にはこの映画で一番クリティカルだと思う『生まれてはじめて(リプライズ)』のエルサの訳はこれで良かったのか考えてしまった。これは二度の『let it go』を繋ぐ重要な曲だけど、
「Elsa: OhI'm such a fool! I can't be free!」
を「酷いわ 悲しい」、後に続く部分を「無駄」「無意味」としたのはちょっと厳しいかな。
「アホだけど無意味じゃないよ!糧になるよ!」と言ってあげたいところ。

・表情の描写は日米の文化差が出て面白い。
もともと欧米人は日本人に比べて表情筋が発達していて目や眉、口などの動きが大きいけれど、日本人として見るとややお下品というか、片眉片口角あげてドヤ顔でニヤリとか目を細めて姑息なスネオ顔とか普通にプリンセスがやるんだなー、まあでもそれこそ「パーフェクトガール」じゃないことの証明でもあるしな、でもそもそもああいう顔をセクシーと感じる文化がもともとアメリカにはあるよね、みたいな。

・洋画が公開される際には必ず「今回の吹替は大丈夫かどうか」が問題になる。
その点この映画は話題性を狙って変な芸能人を呼んだりせず、ちゃんとローカライズに労力とお金をかけていたので文句なしでした。
ただ、公開時に25カ国バージョンをYouTubeに上げて「日本語:英語」だけじゃなくてどこの国も吹替してるんだよ、と周知することで視野を広げ、吹替の良さを意識させたこと、また同時に「松たか子バージョンは世界的にも評価が高い!」という記事を出したことはうまかった。
いや実際松たか子バージョンは素晴らしいと思うけど、「世界的にも~」みたいなお墨付きがあると、根拠はよくわからなくてもとりあえず安心して楽しめるものなんですよ。おかげでどんなに素晴らしくても難癖付けるようなしょうもない批判もほぼ見なかったし。
ちゃんと労力かけて文句のないものを作った上で広報も練られているってのはさすがですね。


脈絡なく雑然と書き連ねましたが、とりあえず以上です。
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