しかし反撃もここまで

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映画のアトラクション化の可能性

Category: 映画   Tagged: 映画  アバター  宇多丸  ゲーム    
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先日のブログで「マニフェスト」を取り上げてマンセーしたんだが本屋に行ったら今度は絶好のサンドバックがぶら下がってるじゃないですか。

映画秘宝4月号

「ライムスター宇多丸が問う!!これはホントに面白いのか!?
  ―あなたは『アバター』にだまされている!?」

映画秘宝 2010年 04月号 [雑誌]映画秘宝 2010年 04月号 [雑誌]
(2010/02/20)
不明

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こりゃなかなか香ばしそうだなと思って早速読んだのだが、内容は高橋ヨシキ氏がボロカス言って宇多丸師匠が一応擁護、という肩透かしな展開。
その後ラジオで宇多丸師匠自身が言っていたが、編集が勝手につけた惹句だったらしい。

だから改めて言うまでもないが、

「3D映像はスゲー、ただしデザインはダセー、脚本はヒデー」

ということでいいじゃないか。みんなもそんな感じだろう。
「いや~アバターすごいね。話はアレだけど」ぐらいの感じで。
キャメロンだってこの作品の芸術性の高さやメッセージ性が抜群だと強く訴えているわけじゃないし。

それにこういう映画が当たってくれることで、結果的には今後の3D作品の製作に道筋をつける、より具体的に言えば上映環境が整備され、開発費が低減し、3D作品の企画を通すための予算的ハードルが下がることになり、

「ジョン・ウォーターズの新作が3Dで上映予定!
今度は飛び出すウンコ食うよ!」

ピンク・フラミンゴ ノーカット特別版 [DVD]ピンク・フラミンゴ ノーカット特別版 [DVD]
(2008/05/30)
ディバインミンクストール

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みたいな映画も製作されるかもしれない。
つまり結果として文化的な裾野が広がるわけだ。
文化と経済は、対立的にではなく補完的に考える方が現実的だし創造的だ。

【追記:2010.11.18】
とか言ってたら、マジで飛び出すウンコ映画が!!
「ジャッカス3D」

http://www.jackassmovie.com/#/home

個人的には、ガラガラの新宿IMAXを憂い、閉館後には品川や軽井沢のIMAXにまで足を運び、さらには「しらね大凧と歴史の館」にわざわざ行って大凧合戦の3D映像まで見た経験から

「3Dタンは人気がない!金も掛かる!オレが守ってあげなきゃ!」

という気持ちが強かったし、業界全体もきっと、スムーズに3D環境を推進出来るか「アバター」の業績を注意深く(人によっては祈るような気持ちで)見つめていたはずだ。
商業主義的と批判するのは簡単だけど、これは「儲かったから正義」っていう話ではなくて、経済活動、というか自分自身が立脚する社会全体に対する想像力に関する話ではないだろうか。


さて、ではそもそも「映画の3D化」は良いことなんだろうか?
3D化=アトラクション化=デートムービー化=アホ化
的な文脈で語られることも多いが、自分としては、3D化自体はともかくアトラクション化の意味を「より現実との接点を意識して体験的になる」つまり「認識」や「理解」を「実感」に近づけるもの、とするなら結構希望を持っている。

確かにそれを必要としない and してはいけない作品もあるだろうが、きっとそれによって産まれる新たな感動も芸術的価値もあるはずだ、と思う。

「アバター」公開からひと月余りの2010年2月18日、PS3で「HEAVYRAIN-心の軋むとき-」というゲームが発売された。

HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-HEAVY RAIN(ヘビーレイン) -心の軋むとき-
(2010/02/18)
PLAYSTATION 3

商品詳細を見る


知らない方にざっくり説明すると、「セブン」(デビッド・フィンチャー)的なサイコサスペンスを、テキストアドベンチャーではなく、あくまで「ゲーム世界内で主人公として行動、選択する」ことによって進めるという挑戦的試みだ。

ハードの高スペック化に伴って喧伝された「ゲームと映画の融合」には、FF的な「ゲームに美麗なムービーを挿入してより感情移入させる」という方法論もあるが、「HEAVYRAIN」が目指しているのは明らかにそれとは違う。
観客が主人公の選択に介入出来る映画(的ゲーム)」を作ることによって、今までにない新たな体験を提供しようとしているんじゃないだろうか。

自分自身「HEAVYRAIN」をプレイしていて、子どもを持つ身としては辛いシナリオ故になかなかエンタメとして消化出来ず、しかし先に進みたい、でも辛くて嫌だ、と葛藤している。
単に脚本がしんどい、というだけではない。それならばゲームじゃなくて読書でも同じだ。
「自分で主人公を操作して行動し、恐ろしい選択をしなければいけない」
ということが、思いのほか効果的で、とても苦しいのだ。

それは今まで、ゲームはもちろん、映画や本でもあまり感じたことのない感覚だったから、少なくとも私に関しては、製作者の試みは成功している。

そもそも優れたゲームは、作品としての評価はともかく、大概の映画よりもずっと深く「体験」として刻まれやすいのではないだろうか。
なぜなら、一方的、受動的に物語を受け入れるのではなく、ゲームでは何らかのアクションによって自ら「選択」をしなければいけないからだ(携わる時間が圧倒的に多い、という理由もあるが)。
ちなみに一本道と批判されるFFの最新作でさえ、歴史上のどんな映画よりも、選べる「選択肢」は圧倒的に多いはずだ。
「サイレント・ヒル」や「バイオハザード」のようなホラーゲームは恐らく「体験のし易さ」という特性をもっとも効果的に利用しているジャンルだろうし、サウンドノベル(エロゲ含む)やRPGなどシナリオ重点のものも、客観的に見ればさほどレベルの高くないエンタメ小説程度の内容でも、ゲームであるが故に強烈に記憶に焼き付けることが出来る。
(個人的には「新鬼ヶ島」や「ファミコン探偵倶楽部」、「デッド・ゾーン」「水晶のドラゴン」といったファミコン/ディスクシステム初期のアドベンチャーが未だに忘れがたい。)
ftc.jpg
「ファミコン探偵倶楽部・うしろに立つ少女」

このように「ゲームの映画化」、つまりゲームに映画的な要素を効果的に取り込もうというチャレンジがこれまでに多くなされ、実際に成果も上げてきた。
もともと体験を刻むのに有利なメディアな上に、脚本、演出など映画のスキルが応用されれば従来にない作品が出来得るし、訴求する層も格段に広くなるだろう。「メタルギア」「グランド・セフト・オート」などはまさにその文脈から出てきた名作、と言えるかも知れない。



翻って映画側から考えた場合も、もっと「アトラクション化」へのチャレンジがあっていいのでは、と思う。
「グラン・トリノ」のラストで、イーストウッドが選択を俺(観客)に迫ってきたら?
「レントン教授と永遠の歌姫」が、ゲーム原作である意味がない凡庸なアニメなら、いっそ上映の途中で観客が考える時間を作ってみたら?
作品の作家性や完成度は犠牲になるだろうし、映画館という場所で上映する上での物理的限界もあるだろうが、いろいろと想像してみるのは案外ワクワクする作業だ。

古くはウィリアム・キャッスルのギミックホラー(劇場の椅子に電気が走ったりするw)なんてのもあったし、プリキュアの新作を娘と一緒に劇場へ観に行き、ピンチになったらペンライトを振って応援するのも楽しみにしている。
「チャーリーとチョコレート工場」でチョコの匂いを映画館に発生させたような演出も、そういった試みの一種かも知れない。
シャマランの「ハプニング」はクソ映画かも知れないが、田舎のシネコンのレイトショーで見たら観客が俺ひとりだったので、恐らく世界で一番この映画にビビったのはこの俺だ。そういう映画外の恐怖体験もある。
「未来を写した子どもたち」のように、売上の一部をインドの貧しい子どもに寄付する、という行為も、冒頭に掲げた定義から是非この「アトラクション化」に加えたい。

「3人のゴースト」ビル・マーレイが観客に直接訴えているように撮っているラストシーン(以下の動画だと第2位)



バカみたいに見えるもの、単なる「インタラクティブw」的なものももちろんあるしすべての映画がこうすべきだとはまったく思わない。
「これは映画だ」と認識し、背後事情、歴史的文脈、メタ的構造を把握することが映画の「物語としての力」を失わせることになる場合もあるだろう。
それでもこういうことを無碍に否定したくないのは、結局
「ゲーム体験」も「映画体験」も「ネット体験」も本当はなくてすべては「人生体験」だと考えたいからだ
そこだけで消化して終わり、というのではあまりにもったいない。

「如何に現実にフィードバックするか」みたいな話になると功利主義のようだが、「反戦映画を見て絶賛しておきながら、現実ではひどいレイシスト」みたいなのは最低だし、しかしそれは程度の差こそあれ結構陥りがちな罠だ。


家でひたすら殺戮ゲーするのも、難解な映画を見るのも、大学で古典を学ぶのも、ブログで好き勝手書いて悦に入るのも、結局すべて現実との接点がなければ自ら選びとった自由を謳歌しているようで、実はこれこそ本当のマトリックスなんじゃないだろうか

「読書とは、他人にものを考えてもらうことだ」というショウペンハウエルの言葉は読書を上のどの例に置き換えても有用だ。
ゲームとは、映画とは、学問とは、テレビとは…。
ただの借り物の知識や経験、上っ面の感想をひけらかすのではなく、拙くても自らの頭で考え、行動することの方がずっと敬意を払うべき行為だ。

「アトラクション化」が映画においてそのメッセージやテーマを「これはお前自身の問題だ!」と認識させるための、より強いきっかけになるならば、案外いろんな可能性をもっているんじゃないかと思う。


関連エントリ:「ゲームのアトラクション化の可能性
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